伊邪那岐の遺書⑩
あれは、早春の矢先でしたね。
一日に何度も気持ち悪くなり、わたしは嘔吐をくり返すようになりました。
わたしのほうは嬉しい予感を感じていましたが、あなたは不安に思っていたのでしょう。仕事帰りに妊娠検査薬を買ってきて、差し出しました。
結果は陽性でした。
恥じらいながらそのことを告げると、あなたは喉仏をこりこりと揉みながら、
「まちがいじゃないか? もう一度やってみてくれ」
と、翌日にまた別のメーカーの検査薬を買ってきました。
結果は同じでした。
ふたたび妊娠していることを伝えたとき、あなたは目を見開いたまま、硬直していました。
その様子があまりにおかしかったので、もしかしたらわたしは、あなたの動揺など気にもとめずに微笑んでいたのかもしれません。あなたは恐ろしいものでも見るかのように、しばらくわたしを見つめていました。
もしも本当に悪魔がこの世に存在するのなら、それはどうような姿をしているのでしょう。
伝説で語られる蛇のような存在なのでしょうか? それともしばしば物語に登場するような黒い肌と翼の持ち主なのでしょうか?
どちらかというとそれはわたしに似ているのでしょうか? それとも、あなたに似ているのでしょうか?
あなたはふらついた足取りで台所まで行き、湯飲みで水を一飲みしました。
「本当にすまない。明日は仕事を休む。だから、いっしょに病院へ行こう」
あなたはバランス感覚がおかしくなってしまったかのように、ゆらゆらと上半身を揺らしています。感情の失われた声でわたしに告げました。
「病院で堕ろしてもらおう」
伊邪那岐の遺書11
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