火呂居美智
短編ホラー小説です。 兄を愛した妹の、情念がたどり着く先は……。
ゲームブック「UNDEAD CASINO」三部作。 「ハルピュイアの羽」 「ヒュドラ地底湖」 「ドラゴンライダーレース」
中編ミステリー小説です。
火呂居美智と申します。 2023年7月に、FT新聞に投稿した短編ゲームブック「落葉」を掲載いたしました。 無料ですので、ぜひ読んでみてください。 難しい場合は、ヒントとしてチャートをご覧ください。
たぶん、あなたはいま、自分自身が書き記しているこの文字の羅列に驚いていることでしょう。自分の意思に反して体が勝手に動いているのですから、恐ろしくもあるのでしょうね。 許してください。 この手紙を書くために、いま、那美子が兄さんの体を使わせてもらっています。 本当にごめんなさい。でも、わたしにはその権利がありますよね? わたしは知っています。 たいした保険に入っていなかったから、あなたはアパートの管理人から多額の損害賠償を求められたのですよね。 そして、その費用を
それから。 それからいったい、どのくらいの時間がたったのでしょうか。 ガス中毒のつもりが、炎に包まれ真っ黒に焼け死んだのですから、あなたはびっくりしたでしょう。 友人ひとりいないわたしのことでしたから、兄であるあなたの一言で、あの事故は自殺として処理できたのではないかと思います。 そうしてもらってべつにかまいません。あなたはそうではないと、罪の意識を抱いているかもしれませんが、本当にそれこそが真実なのですから。 あのとき以来、わたしの感情はとてもうろんで、愛情と憎
数日後、大きく感情が揺れ動いたせいか、わたしは体調を崩しました。 頭の中でいくつもの鉛が徒競走をしているかのような頭痛とめまい。吸う、吐く、嗅ぐのすべてを封じ込めてしまった鼻汁。 涙腺はお湯を溜めているかのように熱くほてり、耳鳴りがただれたような不快な強弱を繰り返して、私をぐったりとさせました。 その日の朝、あなたはわたしの代わりに朝食の後片付けをしてくれてから、眉毛を下げたままのにこやかな顔で言いました。 「今夜、ちょっとしたお祝いをしないか? 実は昨日、ケーキを買
「那美子、わかったよ」 一睡もできなかったのでしょう、翌日のあなたの顔は、かわいそうなくらいにやつれていました。 「涼子さんとは結婚しない」 朝食をとる前に、泣きそうな笑顔であなたは告げました。 「俺は、お前と生まれてくるはずだった子供のために、これからの一生を捧げる」 一晩、充分に考えて出した結論だったのでしょう。 それだけ言うと、あなたは箸を取り、笑顔を崩さぬまま朝食を食べ始めました。 その言葉を受けて、わたしはとても嬉しかったはずなんですが、なぜかそのときは素
「わたしが邪魔なのね」 パンフレットを持つ手が震えました。 「わたしを遠くに追い払いたいのね」 涙がぼろぼろとあふれました。 「そんなことはないよ、ただ、お前の健康のためを思って」 「涼子さんは、すてきな人ですものね」 わたしが突然、涼子さんの名前を口にしたので、あなたはとても驚いた顔になりました。 「わたしは嫌よ。こんな場所に行くのは。兄さんと離れて暮らすなんて、絶対に嫌」 「なぜ、彼女のことを知っているんだ?」 「那美子は、兄さんのことならなんでも知っているわ。兄さ
それから涼子さんは、何度もわたしに会い来てくれました。 あなたは、それからもわたしについてあまり彼女に教えようとはしなかったのですね。恥ずかしい妹ですものね。 涼子さんは何度も真剣な顔をして、兄さんには内緒にしてねとお願いしてきましたよ。 そのころ部屋が急にきれいになったり、わたしが一人で買い物に行って新しい服を買ってきたりと、あなたはびっくりすることが多かったかと思います。それは、実は彼女がいっしょに行ってくれていたからなんです。 料理も新しいものが増え、味もおい
そんな日々が一年近くもたったある日のことです。 わたしは天気も良いのに、昼間から雨戸を締め、部屋を暗くして過ごしていました。 「那美子さん、いらっしゃいますか?」 突然ドアがノックされ、玄関から女性の声が聞こえました。 日子を抱きながら物思いにふけっていたわたしは、視線だけを玄関に向け、黙ってやり過ごそうとしました。 しかし、声の主はわたしがいる気配を感じ取ったのか、かまわず自己紹介をはじめます。 「三上涼子といいます。那央樹さんと、結婚を前提にお付き合いをしていま
それからのあなたは、わたしから逃げるように、ますます仕事に没頭しましたよね。 毎日のように朝早く出かけては、真夜中に帰宅をするようになりました。休日にも出かけることが増え、いっしょに食事をすることも少なくなりました。 わたしの方といえば、不登校が続き、進学を待たずに高校を辞めました。学校には病気の治療と説明していましたが、実際には病院にもろくに通わずに、ぬいぐるみの日子を抱いては、呆けたような毎日を送っていました。 日子がごはんを食べないので、わたしの食も進まず、みる
その帰り道に、クマのぬいぐるみを買ってもらいました。 かわいらしい、とぼけた表情をしたそのクマに、わたしは日子(ひるこ)という名前をつけました。生まれ来るはずだった子供が女の子だったら、つけたいと思っていた名前でした。 それこそ本当の子供のように愛情をもって、ぬいぐるみの日子に接しました。 あなたはうす気味悪く思っていたかもしれませんが、熱心に語りかけていると不思議なもので、ぬいぐるみと本当に話ができるようになるんですよ。布団の中で、子守唄を歌って頭を撫でてあげると、
そのあとのことはあまり思い出したくありません。こうやって筆を動かしている今も、頭に血が上り、手が震え、気がおかしくなりそうです。 「わたしは産みたい」 「すまない」 「わたしは産みたい」 「だめだ。それは辛すぎる。二人とも幸せにはなれない」 「なれるわ。むしろわたしにとっては産む方が幸せだわ」 「すまない。お前には本当に申し訳ないことをした」 「なぜ、謝るの? 兄さん」 わたしは、じっと押し黙りました。あなたの瞳の奥から真意を探ろうと、必死で見つめました。 あなたは、
あれは、早春の矢先でしたね。 一日に何度も気持ち悪くなり、わたしは嘔吐をくり返すようになりました。 わたしのほうは嬉しい予感を感じていましたが、あなたは不安に思っていたのでしょう。仕事帰りに妊娠検査薬を買ってきて、差し出しました。 結果は陽性でした。 恥じらいながらそのことを告げると、あなたは喉仏をこりこりと揉みながら、 「まちがいじゃないか? もう一度やってみてくれ」 と、翌日にまた別のメーカーの検査薬を買ってきました。 結果は同じでした。 ふたたび妊娠して
その結果なのかどうかわかりません。 数日後、あなたは病み上がりのわたしよりもさらに蒼白な顔で帰宅しました。肌は乾燥し、視線は生気を失って、言葉もほとんど発しませんでした。 「体調が悪いの?」 わたしが尋ねると、あなたは首を横に振り、背中を丸めて部屋の隅に座りこみました。 「仕事で何かあったの?」 あなたは面度くさそうにまた首を振りました。 「友達とけんかしたの?」 今度は何も反応しませんでした。 反対側の隅に腰を下ろして、わたしはあなたを見守りました。 やがてそ
それからさらに五日間、わたしは体調不良を理由に学校を休みました。 事実、最初の数日以外は重い鼻炎を患い、まともに呼吸ができませんでした。あなたが仕事に出かけてから、わたしは彼女の部屋の前まで行き、郵便受けに汚物を投げ入れました。 それでどうなると考えたわけではありません。ただあなたに近づいてほしくなかったわたしは、幼稚な嫌がらせをするのが精一杯でした。 最初の日は、捕獲器にかかった生きたままドブ鼠を袋ごと投げ入れました。 次の日からは袋から中身を取り出し、直接郵便受
人は、死んだらどうなってしまうのでしょうか。 魂は漂うのでしょうか、消えてしまうのでしょうか。 わたしのこの想いは、どうなってしまうのでしょうか。 今でこそどうでもいい些細なことに感じられますが、当時はそんなことばかり考えていました。 あなたは、わたしを妹としてとても大切に扱ってくれました。しかし、いざわたしが一人の女として、愛情を込めてあなたに接すると、尻込みするようにこわばった態度をとりました。 自分が甘やかしすぎたと考えたのでしょうか、ふだんから冷たくなり、
ぶつぶつとか細い声で一言つぶやいてから、あなたはそのままあ仰向けになって寝入りました。 あなたの最後の言葉を聞いて、わたしの両目からは、涙が溢れ出しました。 わたしは前日まで、告白しても失敗するかもしれないという恐怖に押し潰されそうでした。いえ、むしろあなたに女としてみられるわけがないと確信し、そのときはきちんとあきらめなくてはいけないと悩んでいました。失敗したときの段取りまで、眠れぬ夜に繰り返し考えていたほどです。 それでも自分が考えていた以上に、あなたと結ばれたい