伊邪那岐の遺書⑦
人は、死んだらどうなってしまうのでしょうか。
魂は漂うのでしょうか、消えてしまうのでしょうか。
わたしのこの想いは、どうなってしまうのでしょうか。
今でこそどうでもいい些細なことに感じられますが、当時はそんなことばかり考えていました。
あなたは、わたしを妹としてとても大切に扱ってくれました。しかし、いざわたしが一人の女として、愛情を込めてあなたに接すると、尻込みするようにこわばった態度をとりました。
自分が甘やかしすぎたと考えたのでしょうか、ふだんから冷たくなり、仕事の付き合いだとかこつけてはよく外に出歩くようになりました。帰りが遅くなるとか弁当はいらないとか言われるたびに、わたしは寂しさで胸が締め付けられていたんですよ。
初恋でした。実の兄妹でした。許されぬ恋なのでしょう。六畳一間の小さな部屋で、毎日顔を合わせていました。これからも毎日、顔を合わせて暮らしていかなくてはならないのでしょう。
あなたに避けられるくらいなら、いっそ死んだほうがいい。そんなことを考えるほど、あのころは毎日が辛い日々でした。
しかし、そんなわたしの気持ちなどよそに、あなたは変わっていきましたよね。
わたしとの貧乏な生活以外に、新しい何かを求めていたのでしょう。
仕事一心で口下手だった兄さんが、髪形や服装に気を配るようになりました。電話でも必要以上に明るく応対することが増えていました。
あなたは営業に転属になったから喋るのも鍛えられたんだと言っていましたが、わたしは隠れた女性の存在を感じて、火の粉のような嫉妬を抱えていました。
そしてそれはただの疑念などではなく、見事に的中していましたよね。
こんなことを告白すると兄さんは驚かれるかもしれませんが、わたしは当時、兄さんが高校時代の同級生と交際をしていたのを知っていたんですよ。
兄さんが今日は遅くなるからと言って仕事に出かけたある日、わたしは学校を早退しました。もともと体調を崩しやすく欠席がちだったから、気分が悪いといえばすぐに担任は帰してくれました。
家に帰ると、深めにニット帽をかぶり、寒くもないのに鼻までマフラーで覆って、バスに乗ってあなたの勤め先に向かいました。仕事が終わり、あなたが職場から出てくるのを待って、気付かれないようにあとをつけました。
繁華街のあの橋で、あなたを待っている女性がいました。みつけたあなたは、嬉しそうに駆け寄っていきます。
そのときのあなたの表情は、わたしがそれまでに見たことのないものでした。アパートでの疲れた顔とはまったくの別人でした。首輪の外れた飼犬のように、その足取りも軽やかでした。
二人が立っていたのは、わたしの誕生日に待ち合わせをした場所とちょうど同じところでした。あなたが決めたのでしょうか? わたしは血が滲むほどに手のひらを握り締めていました。
しばらく人込みに隠れるようにして様子をうかがっていました。楽しそうではあるけれどどこかぎこちない雰囲気で、二人の仲はそれほど進展しているようにはみえませんでした。それにどこか会話の調子がずれていて、兄さんばかりが熱く語っています。
二人が夕食をとるために中華料理店に入ったのを見送ってから、わたしは帰宅しました。
短髪で化粧っけも薄い女性の姿に見覚えがありました。
アパートに帰ると、兄さんの卒業アルバムを開き、面影のある生徒の写真を探しました。名前を記憶し、兄さんの机から手帳を見つけ、住所と電話番号を調べました。
あなたたちが今ごろ楽しく過ごしているかと思うと、胃がねじれるように痛みました。
台所で薬を飲みました。足下を鼠が走っていきましたが、驚く気力もなく、そのまま布団に入りました。朦朧とした意識の中で、あなたを奪われたくないと何度もつぶやいていました。
翌日、胃の痛みはすっかり治っていましたが、わたしは体調がすぐれないと言って学校を休みました。
昨日と同じように深めにニット帽をかぶり、家を出ました。
近くの公衆電話から、昨夜調べた彼女の番号にかけました。高校を卒業してから一人暮しをしているらしく、学生時代の友人のふりをすると、母親は住んでいるマンションの住所を親切に教えてくれました。
わたしは一度家に戻り、台所の角からあるものを取りだして、紙袋に入れました。
それからバスに乗って彼女の住むマンションに向いました。乗客は少なかったのですが、向かいに座っていた老女はわたしに不快そうな視線を向けていました。
紙袋の中で、かすかな鳴き声と、内側を擦る音が聞こえていました。ドブ川の汚水のような匂いも車内にかすかに漂い始めていましたが、わたしはそ知らぬふりを決め込みました。
袋の中には、粘着式の捕獲器が入っていました。
そこでは、捕まったばかりのドブ鼠が、生きたままへばりついて、もがいていました。
伊邪那岐の遺書⑧
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