伊邪那岐の遺書16
「わたしが邪魔なのね」
パンフレットを持つ手が震えました。
「わたしを遠くに追い払いたいのね」
涙がぼろぼろとあふれました。
「そんなことはないよ、ただ、お前の健康のためを思って」
「涼子さんは、すてきな人ですものね」
わたしが突然、涼子さんの名前を口にしたので、あなたはとても驚いた顔になりました。
「わたしは嫌よ。こんな場所に行くのは。兄さんと離れて暮らすなんて、絶対に嫌」
「なぜ、彼女のことを知っているんだ?」
「那美子は、兄さんのことならなんでも知っているわ。兄さんは、三上涼子さんと結婚したいのでしょう?」
わたしの指摘に、あなたは言葉を失いました。
その様子にわたしはますます昂ぶり、目を見開き、声を荒立てました。
「彼女はきれいで、やさしくて、まるでおとぎ話にでてくるお姫様のようですものね。家柄も立派で、お金持ちで、あなたのことを大好きですものね」
あなたは冷や汗にまみれて、色白の顔をさらに蒼くしました。
「嫌よ。そんなの許さない」
わたしは、獣がのりうつったかのように、獰猛な言葉を吐きました。あそこまであなたにわがままに喚き散らしたのは、幼いころ、両親がいないと駄々をこねたとき以来だったでしょうか。
「だって、那美子の方が兄さんのことを愛しているもの。たとえあなたたちが惹かれあっているのだとしても、結婚するなんて許せない、絶対に」
目の奥が熱くなっていました。きっと白目には無数の血管が広がり、真っ赤に充血していたことでしょう。もしかしたら、溢れ出る涙には血が混ざっていたのかもしれません。あなたは終止無言で、彫像のように表情を固めていました。
「わたしを犯し、子供ができてしまったことを、そしてその子を堕ろさせたことを、涼子さんに全部打ち明けるわ」
そして、わたしはあなたを脅迫しました。
「涼子さんと、いえ、これから一生、だれとも結婚しないと誓って」
自分のものとは思えないような大きな声で、ヒステリックに怒鳴りました。
「それ以外に、兄さんが、わたしと日子に償う方法はない」
わたしは、なんてわがままな妹なのでしょうか。
自分の意思で関係を迫ったはずなのに、責任を全部、あなた一人に押し付けようとしました。いま思えば、あなたがわたしに殺意を抱くのは、仕方のないことだったと思います。
説得のひとつも試みたかったのでしょうが、あなたはその晩、ついに一言も発しませんでした。
伊邪那岐の遺書17
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