伊邪那岐の遺書②
ものごころがついたときから、わたしの家族はあなた一人でした。体が弱くて泣き虫だったわたしの世話を、あなたは小さいころから一生懸命してくれましたよね。
思い返すだけで、感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。今ごろ、何を言っているんだとお思いでしょう。子供のころだけでなく、大人になってからも、兄さんにはあんなにひどい迷惑をかけてしまったのに。
でも、あのころを振り返ると、兄さんは本当に大変だったんだろうと思います。
わたしたちは、幼いときに両親を失くしました。交通事故だったと聞きます。わたしはまだ三歳にも満たない子供だったから、当時を思い出すことはできません。引き取られた親戚の家ではいつも泣いてばかりいて、叔母をよく困らせていたそうですね。そのたびに別の親戚のところにいたあなたは自転車でかけつけて、わたしを慰めてくれていたんですよね。
わたしは背丈も小さく痩せていて、性格も内気だったから、学校でもいじめられていました。あなたはとなり町の学校に通っていたのに、授業が終わると、できるだけ早く校門まで迎えに来てくれて、いじめっ子たちからちょっかいを出されないように、毎日いっしょに帰ってくれていました。
今でも強く印象に残っているのは、初めての授業参観日のことです。
その日の帰り道、わたしは、あなたの後ろをずっと泣きながら歩いていました。
授業中、教室は同級生の父母の姿で、いつもとは違った雰囲気になっていました。親にとっても、その日は初めての方が多かったのでしょう。母親たちはきれいに化粧をし、優しいまなざしを子供たちに注いでいました。はりきっている子もいれば、恥ずかしがっている子、緊張している子、それに親が来ることを嫌がっている子もいましたが、わたしには全員が喜びで輝いているように見えていました。わたしだけが一人、暗闇に取り残されたような寂しさを感じていました。
叔父夫婦はわたしのことをあまり好ましく思っていなかったから、その日に限らず、その後もほとんど学校行事に顔を出すことはありませんでした。
「どうして来てくれなかったの?」
わたしは泣きながら、兄さんを責めました。
「どうして、わたしにはお父さんとお母さんがいないの」
わたしは泣き叫びました。
お母さんはどこにいるのと駄々をこね、連れてきてくれるまで帰らないと道端に座りこみました。
まだ小学校五年生の子供でしかなかった兄さんは、無理難題をつきつけられ、困り果てたのでしょう。動揺を隠せない表情で喉仏のあたりをこりこりと揉んで、その場にしばらく立ちすくんでいました。
陽が傾き、ふたりの影が水あめのように細長く伸びていくあいだ、わたしたち兄妹はその場で向かい合っていました。
やがて、あなたはあきらめたように、濃い眉を八の字に曲げ、泣き笑いの表情をして言いました。
「那美子、お父さんとお母さんは遠くの町で働いているんだよ。そのうち帰って来るから、いまはがまんしよう」
夕陽が、あなたの優しい顔を照らしていました。
そのあと、あなたは泣き疲れたわたしをおぶって、叔父夫婦の家まで送ってくれましたね。
夕暮れの中、背中ごしにあなたが声を殺して泣いているのを感じて、わたしたちにはもう、両親はいないのだと悟りました。
高校を卒業して地元の印刷会社に就職すると、あなたはすぐにわたしを引き取ってくれました。叔母は毎年のように高熱を出すわたしをひどく迷惑がっていましたから、さぞかし嬉しかったと思います。
わたしにとっても、すきま風の多い小さな部屋での、貧しい生活ではあったけれど、あなたと二人で過ごす毎日は楽しく、とても充実したものでした。
わたしは学校から帰ると不慣れな家事にはげみ、あなたは二人分の生活費を稼ぐために一生懸命に働きました。わたしが体調を崩したときは、いつでも眠る間を惜しんで看病もしてくれました。
いつの頃からか、わたしはそんな兄さんを、血のつながった兄妹としてではなく、ひとりの男性として愛しはじめていたのです。
伊邪那岐の遺書③
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