妄想人間シアター第四話 「偽りの歌 平正勝」
吉武は特にそれ以上、そこで行われていたことについて詮索はしなかった。
本当に勘違いをしているのか、ただ触らぬ神に祟りなしと思っているだけなのか、私には見当がつかなかった。スミレも見られたことに対して気にしているふうでもなかった。むしろ止められたことに対して機嫌を損ねたようで、来るのが早すぎるのよ馬鹿と、小さく吉武を罵った。
とにかくなんとかその場をやり過ごし、我々は娯楽室へと戻った。
あいかわらず平が、口をへの字に曲げ、推し量るように細い目をさらに細めて、私を待ち構えている。
「ええと、次は誰の番だったかな?」
スミレと二人でいたことに対して誰かが突っ込みをいれないうちにと、私は椅子に座るとすぐに本題へ促した。
「僕でないことは確かでしょう」
吉武がけらけらと空笑いをたてる。
「なぜなら僕は、断筆宣言をしたからです。書けなくて書かいてこなかったんじゃあ、ありません。断筆宣言をしていたから、仕方なく書かなかったんですよ、よ……よ……よよよよ寄り切りで貴ノ花」
そう言って吉武は、一人で爆笑する。誰も、彼の笑いについていけていなかった。
もちろん私もである。
「あんたさあ」
スミレは、どことなく苛々した様子である。
「脚本書いてきてないんだからさあ、ここにいる必要ないんじゃない?」
うんざりした表情で、吉武をねめつける。
「巡査と秋山さんのことを行ってきなさいよ。見張りよ、見張り。目が覚めて、また暴れだしたら困るでしょ」
「ええっ!? そんなあ。僕一人でかい?」
「そうよ」
「えええっ」
吉武は、もう一度不満そうな声をあげる。
「いいから早く」
スミレは虫でも追い払うように、二、三度手首を返した。
吉武はすがるように我々を見回したが、誰も助け船を出さなかったので、チェッと小さく舌打ちしてから、恨めしそうに部屋を出ていった。
彼が出て行くと、なんだか急に部屋の中が静かになったような気がした。
この数十分の間で三人も人数が減ってしまったのだから、それも当たり前と言えば当たり前だろうか。
私は、取りあえずその場を進行させねばと口を開く。
「ええと、じゃあ次は……」
「次は俺だよ」
すると、平が意地悪するかのように、早口でそれをさえぎった。
私はちょっとかちんときて、彼の顔を見つめる。
平正勝は角張った顔の形をし、浅黒い肌で、焼け焦げたトーストを思い起こさせる。目鼻立ちも小粒で、背も低い。どことなく、田舎の農夫のような愛嬌をかもし出している小男であるが、さきほどから、怪しい男を見るように私のことをその細い目で探っている。それさえなければ好感が持てそうな風貌ではあるのだが……。
原稿を受け取ろうと私は手を伸ばしたが、彼は渡さなかった。
「俺の原稿は先生には渡せないね。なにをされるかわかったもんじゃない。自分で読む。大きな声で朗読をするから聞いていてくれ。一度しか読まないからな、聞き逃さないでくれよ」
私と原稿を見比べ、こほんと咳をひとつ払ってから、彼は大きな声で自分の書いてきた脚本を朗読し始めた。
朗読するという時点で、彼の作品も脚本としての体裁が整っていないのは明らかだった。
*
嘘だ!
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
すべては嘘だ。偽りだ。
騙されてはいけない。
いや、騙されるな。
なにか信用すべきようなものは世の中にはなにもない。いや、なくはない。なくはないが、世の中はほとんどといっていいほど嘘で満たされている。
テレビを見よ。あの小さな箱の中に映っているものを世界だと勘違いしているものたちよ、騙されるな。
新聞を見よ。あんな薄っぺらい紙切れに書かれているインクの染みを言葉だと信じ込んでいるものたちよ、騙されるな。
世論はいつも操られているのだ。情報はすべてデマコギーだ。起こってない事件さえ捏造されている。
すベては嘘だ。嘘なのだ。
嘘の精神で満たされているマスコミなど信用するな。
マスコミ? 思わず使ってしまったが、本当はそんなものさえありはしないんだ。
そんなものはあいつらがつくった幻想だ。
戦争も平和も、飢餓も飽食も、科学も哲学も、流行や歴史でさえも、すべてあいつらのつくった幻想なのだ。
俺は知っている。
夜中の天井裏を、チュウチュウとうるさく走り回るものたちの正体を。あれは決して鼠と呼ばれる生き物などではない。
あれは機械なのだ。俺たちをたえず監視している、機械なのだ。
俺のいうことの方が嘘だと思うなら、つかまえて調べてみればいい。あのひげはアンテナのようなものなのだ。あの尻尾はセンサーのようなものなのだ。あれで、あいつらは情報のやり取りをしているのだ。
大事な話をするときは、我々はいつも近くにあの鼠の形をした監視ロボットがいないか、確認しなくてはならない。
そして、もしもそれを見つけたのならば、徹底的に壊すがいい。赤い液体があふれ出るが、あれは血ではない。オイルだ。金属バットのようなもので、徹底的に壊してしまえ。ぺちゃんこになるまで叩き潰せ。そのときついでに、テレビも壊してしまえ。
ときおりテレビに怪しげな雑音が入ったことあるなら、それはあいつらの仕業なのだ。
あいつらは常に俺たちを監視し、制御しようとしている。
気をつけねばならない。注意深くいなければならない。騙されてはいけない。
もし故郷を離れて生活しているのなら、隣近所の住人にも気をつけろ。特に最近引っ越してきた一人暮らしのものは、たいていの場合あいつらの手先だ。昔からその土地に住んでいると自称するものたちにも、うかつにすきを見せてはならない。
いつのまにかすり変わっているかもしれない。利き腕が変わっていないか、髪形を急に変えてはいないか、このところ家族の話をしなくなってはいないか、十分に気をつけなければいけない。
鼠の形をした監視ロボットがいるのだから、人間の形をした監視ロボットもいるはずなのだ。
あいつらは、そのくらいの科学力は当然持っているのだから。
騙されるな。すべては嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。嘘偽りだ。
だが、ひとつくらいは真実がある。
我思う、ゆえに我あり。
昔の偉人はそう言葉を残し、警告した。すべてを疑う俺がいるということ、それだけは真実なのだ。
そして、俺を生んでくれた両親、俺と妻の営みで生まれた俺の子供。彼らがいること、それも真実だ。
だから、俺は狂わないでも生きていけるのだ。
だが、あいつらはそれも奪おうとしている。
あいつらは、俺が俺であるということさえも、疑わせようとしている。
ときどき、不思議な旋律が流れては、あいつらは俺の体を操り、俺の記憶を操作する。
気がついたら、俺は妻を息子を両親を、メッキのはげかけた金属バットで殴り殺していた。しかし後悔をしてはいない。なぜなら彼らの体からは、赤いオイルが流れ出ていたからだ。俺の数少ない真実さえも、いつのまにかあいつらにすり替えられていたのだ。
本当の俺の家族はあいつらの手によって、きっと今はどこかに監禁されているのだ。俺は自らの手で、自分の家族を助け出さなければいけない。助け出さなければいけない、助け出さなければいけない、助け出さなければいけない。必ず助け出さなければいけない。
負けてなるものか。たとえこの体があいつらの手によって、幾人もの血を流そうとも、どんな汚らわしい言葉を吐き散らそうとも、負けてなるものか。
きっと、それも嘘なのだ。
騙されてはいけない。
すべては嘘、嘘、嘘、嘘。偽りだ。
世界は偽りの歌で、満たされている。
騙されるな。騙されるな。
騙されるな!
*
「先生! 本当はあんたも、あいつらの手先なんだろう? わかっているんだ。最初見たときから、こいつはおかしい、こいつは変だって思っていたんだ。さっさと正体を現しやがれ!」
私はあっけにとられた。
「ちょ、ちょっと平さん、なに興奮してんのさ。先生が困っているよ」
川野が、立ち上がろうとした平の肩に手をやり、静めようとする。
「川野、わからないのか? こいつは芝居の先生なんかじゃない。俺たちを探りにきたあいつらのスパイだ。信用なんかするな」
私はスミレに目を移した。
「あいつらって……?」
スミレは肩をすくめる。彼女も、平の言っていることはよくわかっていないらしい。
「しらばっくれるんじゃない! 自分の胸に手を当ててよく聞いてみるがいい。お前がどこから、なんのためにきたか、さっさと白状しやがれ!」
平の顔はさらに赤黒く染まっていく。細い両目の奥は、怒りに満ちている。
私は、またしてもこの理不尽な状況にどうしていいのかわからない。いったいなぜ、平は私をこんなにも敵視するのだろう。彼の言うあいつらとはいったい何者のことだろう。
彼の脚本の内容から察するに、なにかしらの国家機密機関か宇宙人の類いのものだろうか。いや、おそらくそうなのだろう。まるでSFかミステリー映画のような話だが、この平という男は、きっとそういう妄想を抱いているに違いない。そういう病気なのだ。
だが、彼の言動の意味がなんとか予想できたとして、私にどのような対処のしようがあろうか。私は医者ではない。
救いを求めるように、私はもう一度スミレを見る。
彼女は一転して、私を無視するようにうつむいて、親指の爪を噛みながら、自分の書いてきた原稿のページをぺらぺらとめくっていた。
川野は私同様困った様子できょろきょろと回りを見回しており、鴻池はあらぬ方向に目をやりながらくすくすと笑っている。
「あいつらの仲間は、いつもそうやってわけがわからないふりをするんだ。先生があいつらの仲間じゃないっていうのなら、その証拠を見せてみろ。証拠がないなら、やっぱりあいつらの一味なんだ。俺のことを偵察に来たんだろう? わかっているさ、証拠などないなんだろ」
平は答えようのない答えを求めながら、頬を熱く上気させた。
「証拠って、いったいなにをすれば……」
私は声もか細く、そう聞き返す。
あれこれ考えを巡らせてみるが、良い答えは一向に浮かんできそうになかった。
平は刺すような視線で私をせかすだけで、なにもヒントらしきものは与えてくれない。
「ええと、そうだな……」
一応考えてはみるが、なかなかうまい言葉が見つからずに、私は口の中で舌をもてあそび、時間を稼ぐのが精一杯だった。
すると、以外にもその効果はすぐに現れた。
こんこんと、部屋の外から、控え目にドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞう」
スミレが、あくびを我慢しているような、間延びした声で答える。
軋んだ音を立てて、ゆっくりとドアが開く。
廊下の暗がりにひっそりと立っていたのは、私の妻、舛添詩織と息子の貴史だった。
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