伊邪那岐の遺書11
そのあとのことはあまり思い出したくありません。こうやって筆を動かしている今も、頭に血が上り、手が震え、気がおかしくなりそうです。
「わたしは産みたい」
「すまない」
「わたしは産みたい」
「だめだ。それは辛すぎる。二人とも幸せにはなれない」
「なれるわ。むしろわたしにとっては産む方が幸せだわ」
「すまない。お前には本当に申し訳ないことをした」
「なぜ、謝るの? 兄さん」
わたしは、じっと押し黙りました。あなたの瞳の奥から真意を探ろうと、必死で見つめました。
あなたは、そんなわたしを強く抱きしめて、か細い声で、謝り続けました。
あなたの匂いが好きでした。あなたの声が好きでした。困ったように垂れる眉が、骨ばった細長い指が、薄い無精ひげに囲まれた唇が大好きでした。
あなたを愛していました。お腹の中に芽生えた命は、あなたとわたしの愛の証でした。それなのに、あなたがその愛の証を消し去ろうとするなんて、思ってもみませんでした。
あなたは社会の厳しさや、自分たちだけではなく、生まれてくる子供もけっして幸せにはなれないと語り続けました。
自分たちには身寄りがないこと、手助けしてくれる知人もいないこと、お金のこと、戸籍のこと、世間にどう見られるかということ。引っ越したり、仕事を変えたり、別々に暮らさないといけなくなる可能性があるということ。
どうしても産んでほしくなかったのですね。
あなたは粘り強く、やさしい声で説得を続けました。
「もし、子供をつくってしまったら、俺たちはいっしょに住めなくなってしまうよ」
その一言が、どれだけわたしを追いつめたことか。
わたしは産みたかったけれど、それを強引にすすめることで、あなたに嫌われるのが、引き裂かれるのが怖かった。
わたしにとって、あなたが生きるすべてで、離れ離れになるのは、それを考えるだけで恐ろしいことだった。
だから次の日の朝、わたしはあなたの後ろをついて病院へ行き、中絶の処置を受けたのです。
伊邪那岐の遺書12
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