伊邪那岐の遺書①
あらすじ
兄さん、お元気にしていますか?
妹から兄へと綴られる手紙。
仕事熱心で妹想いだった兄を、妹はいつしか愛するようになっていた。
妹の強引な告白により、二人は結ばれるが、幸せは続かなかった。
妹は兄の子を宿し、世間の目を気にする兄の説得により堕胎した。
失意の妹は、ぬいぐるみに名前をつけて、暗い部屋で過ごした。ときどきぬいぐるみと話をし、歌を唄った。
兄は仕事先で良縁に恵まれた。
自分を邪魔もの扱いしようとする兄を、妹は脅迫した。他の女と結婚するなら、すべてをばらすと。
事故に見せかけて兄は自分を殺す気だ。だが、愛するがゆえに妹は受け入れた。そして死にきれなかった。
この手紙は、妹が兄のからだを使って書いている。
文字数 23730字
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伊邪那岐の遺書
兄さん、お元気にしていましたか?
あれからいったい、どのくらいの歳月が経ったのでしょうか。
今のわたしは、なんだかとても心がぼんやりとしていて、刻が止まったかのような、ゆるやかな毎日を過ごしています。
視界に色を感じず、人の声もまともに聞こえず、気が抜けば意識は途切れて、そのまま長い眠りにでもついてしまいそうです。
兄さんがあのとき奨めてくれたように、やはりわたしは、きちんとした場所で治療を受けなければいけない、深刻な心の病に罹っていたのかもしれません。
今なら少しだけ、兄さんの言い分もわかります。
ああ。
このようなかたちで筆をとった妹を、どうかお許し下さい。
このところ少しずつ、いろいろなことを忘れていきます。
人の思い出なんて、河を流れる枯れ葉のようなものですね。うれしいことも悲しいことも、いずれはすべて、時間の流れに沈んでいくのでしょう。
でもね、兄さん。
あの頃のあなたとの思い出だけは、わたしの心から離れることはありません。
あの事故で死んだはずのわたしから、このような手紙をもらい、とても驚いているでしょう。気味が悪く、もしかしたら恐怖すら感じているのかもしれません。
でも、あなたにだけは、あの事故の真実と、あのときのわたしの気持ちをきちんと伝えなくてはと思って、言葉を綴る決意をしました。
陽あたりの少ない安アパートに、わたしたち兄妹は住んでいました。
畳のささくれだった六畳で、窓のすぐ下にはドブ川が流れ、台所にときおり大きな鼠が徘徊するような、そんな住まいでした。
わずか三年ほどのことだったけど、心の浮き立つような幸せな日々も、身が引き裂かれるような辛い時期もありました。
今のわたしの感情はとてもうろんで、愛情と憎しみの区別もつけられません。
時間の流れもよくわからない、浅い眠りに入っているかのような、奇妙な精神状態です。
ただ、あなたへの想いだけは、あのころと変わらず胸の内で生き続けています。
来年の今ごろには、念願だった彼女と結婚式を迎えるんですよね? あなたにとって、わたしなんて思い出したくもない存在なのでしょうけど、目を背けずに、最後までこの手紙を読んでくれることを願っております。
那央樹兄さん。わたしの愛した、ただ一人の男性。
いつでも、あなたとの思い出は鮮明によみがえります。
伊邪那岐の遺書②
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