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仕事の中の余白と黄色信号の余白
私は会社員として18年ほど組織に属して仕事をしてきた。うち3年間は副業も経験、その後独立。これらの経験の中で感じた組織やチームにおける原理原則ついてまとめておこうと思う。
組織やチームは原理原則と経験知で機能する
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私のキャリアの大半は地方新聞社という比較的堅めな組織で過ごした。当時の私はルールなんて気にしたこともなく、むしろそんなものどっちでもいいくらいに思っていた。
しかし転職や副業、独立をきっかけに原理原則+経験知という組み合わせが組織やチームにとっていかに大切かということを知った。
ここで言う原理原則とは交通法規で例えたら「赤は止まれ、青は進め」といった、あるものを機能させるために最低限必要な仕組みを指す。
これに対して経験知は実際に道路を利用する際に「ある状況に対してどう判断し、どこまでが許容されるのか?」といった感覚的に理解している部分を指す。
この両輪が連動することではじめて息の合った仕事やチームプレイが実現できるのだと思う。
黄色信号の役割をどう捉えるか
信号は単純に「止まれ/進め」という機能だけに絞って考えれば赤と青のみで成立する。事実、歩行者信号はそうなっている。
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ではなぜ黄色信号が存在するのか?
私は黄色信号とは「冷静な判断をするためのゆとり」と捉えている。
つまり余白である。
黄色信号は本来
「止まれ、しかし安全に停止できない場合は進むことができる」
という内容を意味している。
しかし実際は黄色が点灯する3秒というわずかな時間で移動距離を稼ぐ人もいれば心の余裕に使う人、人に譲るために使う人もいる。
黄色信号の余白と仕事の中の余白
組織やチームでも信号と同じように青と赤だけで運用すれば当然、ぶつかる原因になる。やはりポイントは余白だ。
どんな仕事でも必ず担当する人間の判断に委ねられている領域があり、そこが黄色信号、つまり余白にあたる。
この余白の使われ方も黄色信号と同様に自分のために使う人もいれば、クライアントのために使う人、仲間のために使う人、提携先に使う人、上司や会社のために使う人などさまざまだ。
黄色信号と異なる点
組織、チームにおける余白と黄色信号には一つだけ大きな違いがある。
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信号と人間は定量的×定性的な要素の関係であるのに対し、組織は常に定性的な要素同士の関係で起こる事象ということだ。
黄色信号は3秒という定められた時間の中で人間がどう判断するか?という事象なのに対し、組織の中での余白は人の判断や周りの状況などによって変化する。
しかし幸いなことに組織やチームでの対象は信号機ではなく人間のため、下記の図1のように相手も自分に対して余白を使ってくれる場合がある。
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図1の場合はAさん、Bさんともに余白の幅が安定しているため、お互いの余白を予想しやすく作業を進める上でも調和がとりやすい。
逆に一切余白を譲らない人や自分の余白を認識できていない人、または気分や状況で余白を変える人が相手だと調和がずらくなる。
余白を理解して調節できる人
共同作業の中で一番大切なのは相手の余白の使い方やその量を理解し、自分の余白と調整ができるかどうか、つまり先述の図1の状態を作れるかどうかだ。
この部分については一定期間以上、体系的な組織に属して仕事をしてきた人や仲間や上司、クライアントと深い信頼関係を持ったことがある人ほど長けているように思う。
逆に調和が取れない、離脱者が多い、違和感があるといったような場合は必ずといっていいほど下記のような点が目立つ。
余白の幅が不安定
余白が相手の立場や状況によって不規則に増減する
マイナス余白で人の余白を奪う
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こういったことが状況であってもある程度は仕事を進めることは可能だがAさんにとっては調和が取りにくく、仕事がやりにくいだろう。
このように不規則、不安定といった要素があると、ここぞというときに安心して背中を預けることができず常に「この人は余白がない」という前提のもと判断するしかなくなる。
原理原則の必要性
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ここまでで「経験知」にあたる部分を見てきた。
ではもう一つの要素である原理原則やルールといったものがなぜ必要になるのかを考えていく。
結論から言ってしまえば、図4のように余白の幅が不安定だったり不規則に増減する人の余白を一定水準まで揃えるイメージだ。
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Aさんの余白とBさんの強制的に作られた余白の重なりを見ると先ほどの図1と比較して明らかに少ない、つまりトラブルはないが息の合った仕事ができているとは言えない状態だ。しかもAさん、Bさんともにストレスを抱えながら仕事をすることになるはずだ。
図1のように相手の余白を予想して動ける人同士では、ルールがなくても手持ちの余白の中で自発的に行動を起こすことができたりする。
しかし余白が不規則に増減する人は自分の得意分野や仕事相手によってそれらをやったり、やらなかったりする。
それでは仕事上、規則性が見えなかったり一定の信頼をおくことができないため、予め「こうしましょう」というルールを作るわけだ。
ちなみに後者のタイプが経営、管理側にいる場合も十分あり得る。
そんな体制の中でルールや原理原則といったものがなければ、どうなるだろうか?信号や制限速度の無い無秩序な道路と同じである。
極端な話、100円で売っていた物を儲かるからといって翌日から1000万円で売ってもお咎め無しというモラルのない状態となってしまう。
そう考えると組織内に少しでも中心線に寄せたコミュニケーション環境や判断の水準を作ろうと思えばおのずと一定の原理原則やルールといったものが必要になってくる。
推し測る能力はどこで身につく?
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ここまで見たきたように組織やチームには原理原則と経験知の両方が必要になる。ルールはいわゆる落とし所というポイントで作るとして経験知に含まれる要素はどうやって身につくのだろうか?
私の経験から言えば体系的な組織の中で一定期間、誰かと一緒にプロジェクトに取り組んだり、クライアントと一緒に作業して同じ汗をかいたり、同僚と一緒に打開策を考えたり、企画を作って実行するといった取り組みの中で培われるものだと考える。
日々の業務に追われる当人たちは気づいていなくても知らず知らずのうちに余白を推し測り調整する力や安定した余白を保つような能力を育んでいるのだと思う。
私もこれらのことは一度も意識したことがなかった。
むしろ皆が同じように似たような経験をし、人間関係についてもある程度は同じ捉え方をしていると考えていた。
しかしそれが大きな間違えだったことに気づいたのは40歳を超えてからだった。
このことに気づいた時、改めて前職の職場や色々な機会を与えてくれた上司、一緒に企画を考えた同僚の存在や経験そのものに心から感謝した。
なぜならこれらの経験は独立してしまった今となってはやろうと思ってもできないからだ。
自由と無秩序は全く違うもの
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ここまで書いたような内容を考えたとき、高校時代、吹奏楽部だった私にある言葉をくれたホルン奏者のことを思い出した。
彼はある日の合奏指導中にこう言った。
何も意識しないで好きなように音を出すだけなら誰だってできる。
未経験者を連れてきていきなり吹かせたって音は鳴る。
でもそれじゃおもちゃのピアノを弾く子供と同じだ。
そこに音楽は存在していない。
一定の基礎や合奏をする上でのルールを知り、メンバー全員の水準と調和を保ちながら表現するから音楽になるんだよ。
この言葉を自分なりに解釈するなら
「自由と無秩序は違う。最低限の知るべきことや経験の意味、それらに裏打ちされた原理原則を理解していてこそ自由に可能性が生まれる」
と捉えている。
それに気がついた日からビジネスパーソンにとっての基礎を学ぶようになった。今後もこの学びを頭の隅に置きつつ黄色信号をどう受け取るのか、自分の余白を何に使うのか考えながら仕事やメンバーに向き合おうと思う。