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旅の記録帳 【世界旅行記063】

2012年11月7日(水) ウダイプル → ムンバイ(列車 Udz Bdts Sup)

今夜、ウダイプルを出て、ムンバイへ向かう。夜行列車で16時間の旅。インドの鉄道に乗るのも、これで7回目になる。大量の人が群がる混沌としたホーム(それが列車を待つ人なのか、駅を住処にしている人なのかは判別しがたい)にも、だいぶ慣れた。ホームに死体のように臥した人たちを、いまでは何の違和感もなく、ひょいひょいとよけながら歩いていける。

インドの鉄道は、切符にデカデカと<INDIAN'S PRIDE>と印刷するだけあって、仕組みがしっかり整っている。まさに「国の威信をかけて」運行している感じである。いまではインターネットで予約もできる。インドの鉄道というと、遅延が常態化しているイメージがあるが、わたしが乗っている限りでは、遅延はほとんどない。むしろ、5分単位で正確である。難点と言えば、インドじゅうを大量の列車が巡行していながら、利用者がそれより圧倒的に多いため、乗車の1、2週間前でなければ席が確保できないことくらいだろう。

来週になると、ディワリ祭というヒンドゥー教の大きな祭りがはじまり、インド国民は大休暇・大移動、インド全土が大混雑になるらしい。これは知らなかった。まだ決めていないムンバイから先の移動が心配になる。あてどない旅を続けるのは、意外とむずかしい。周到にプランを練っておいた方が、先の心配をしなくてよいぶん、現地では気楽にすごせるのではないだろうか。

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旅の記録をモレスキンのノート(Moleskine Classic Pocket Plain Notebook)に付けていたが、おととい、出発から116日目にしていっぱいになってしまった。ムンバイに着いたら、まずはこのノートを探したい。ニューデリーでは見つけられなかった。こんな外国ものは、大都市でなければ手に入らないだろう。せっかくなら、旅の記録帳は全冊モレスキンで揃えたい。べつにモレスキンに特別のこだわりはないのだが、頑丈なハードカバー、ページが膨らんでも止められるバンド、そして余ったチケットなどを入れられるポケット付きという3点が気に入って、この旅で使用している。

ノートには、基本的に1日分の記録を見開き1ページで書いている。片方のページには、定形レイアウトで、日付・天気・滞在地・宿名、そして時系列で行動と出費の記録を書く。出費は、「移動」「飲食」「観光」「その他」の4項目にわけて小計をとり、最後に1日の合計金額を現地通貨と日本円の両方で書く。下の余ったスペースは、体調面などで特記事項があったときに使う。もう片方の白紙ページは、雑記を書いたりチケット類を貼ったり、自由に使う(白紙のままのときもある)。

肝心の旅費の集計は、手書きではあまり意味がないので、妻がせっせとわたしのノートを見ては、iPadに打ち込んでいる。成り行き上(というよりは2人の性格上)、細かい記録はわたし、電子化は妻、という役割分担ができあがってしまったが、はっきり言って電子化の仕事はつまらない。だから、妻はたまにしかやらない。それゆえ、わたしたちが旅費をチェックするのは、せいぜい1か月に一度くらいのものである。

実を言うと、わたしたちの場合、そもそも予算からしてアバウトなのである。一応、出発時に設定した予算はあるにはあるのだが、「まあそのくらいに収まればいいな」という願望であって、必要があればいつでも特別予算枠を出動させてしまう。それなのにいちいち細かく記録をつけているわたしは、目的ありきというよりは、やはりただの記録好きなのだと思う。

この性格は、この3月に亡くなった父方の祖父譲りのものである。晩年の祖父は毎日、今日はなにをしただの、どこへ行っただの、誰にいくらお小遣いをあげただの、驚くほどこと細かに記録を付けていた(そこにあまり感情は入っていない)。亡くなる1年ほど前に、過去のほとんどの手帳や写真を、もう不要だからとみずから処分してしまったが、2011年の手帳だけは残っていたので、わたしが「これだけは欲しい」と言って、形見分けにもらった。

この手帳を見ると、祖父は老人ホームに入ってからも、ホーム周辺の地図を、自ら歩きまわらなければ書けないような正確さで書き起こしたりして、丹念に記録を付けているのである。親戚全員の住所や電話番号も、つねに最新のものに更新されている。自らの葬式の段取りまですべて書き記していた祖父は、最後まで呆けることがなかった。死への覚悟と用意周到さも含めて、わたしはこの祖父のように身辺を整理しておきたいとつねづね思う。

とにかく、旅の記録を付けるのは、わたしにとって趣味のようなものだから、一切苦痛にならない。4か月かけて埋め尽くしたこのモレスキンのノートは、いまやわたしにとってパスポートより大事な貴重品かもしれない。他人には、つゆほども価値のないものだとしても……。その一方で、失くしたら失くしたらで、「まあ、思い出は記憶に残っていることだし」と、簡単に諦められるくらいの心の余裕も、できれば持っていたいものである。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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