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24時間の船旅を経て天津へ 【世界旅行記004】

2012年7月18日(水) ソウル → 中国 天津(フェリー 天仁号)

仁川(インチョン)港から、天仁号というフェリーに乗って24時間、中国の天津新港に到着した。

1,500ウォン(約100円)の差しかなかったので、エコノミーではなく、ビジネスクラスに。とはいっても、二段ベッドが2つ並ぶ4人部屋であることに変わりない。それとは別に、洗面台とテーブルがついているのが異なる点だろうか。韓国人2人、中国人1人と一緒の部屋だったが、あいにく3人とも英語がしゃべれない。ほとんど会話にならなかったが、それでも「夕食は食べたか?」といった仕草をしてくれるなど親切にしてくれた。乗客のなかに日本人はわたし1人だったのではないかと思う。

もともとは日本の船だったようで、あちこちに日本語表記が。
左に足された中国語と韓国語の注意書きが目を引く。

下船する列に並んでいるとき、中国人のおじさんの奥さんと娘さんが現れた。そして、その娘さんは英語が話せたのだ。もっと早く知りあっていれば、多少の会話でもできたのに。別れるとき、大きな声で「SAYONARA!」と言ってくれた。

天津新港は、天津市内から約50キロ離れたところにある。港のまわりはタクシーの客引きがいる以外、本当になにもないところだった。事前に調べておいた公共バスを2本乗り継いで、なんとか市内までたどり着くことができたが、ほとんど言葉が通じないなかで長距離バスに乗るのは、とても勇気がいった。しかも乗り換えが必要とあれば、なおさらだ。台所から出てきたようなおばちゃんが、大型バスを豪快に運転しているのがおもしろかった。

解放橋の上からみた天津駅(左)

2024年7月18日(木)のつぶやき
いよいよ大きな中国大陸に足を踏み入れた。釜山へ向かうフェリーは大阪発だったので日本人も多かったが、韓国から中国へわたるフェリーに日本人の乗客は皆無だった。異国を訪れると、ちょっとした会話が通じあうだけで、ものすごくハッピーな気分になる。少しずつ放浪の旅らしくなってきた。

12年後のわたしは多忙を極めている。「忙しい」という字の通り、まさに心を無くしている。クライアントワークは大変だ。締め切りに追われ続けている。どうしてこうなったのか。いまはこの旅行記を読むことが、セルフセラピーのように、わたしの心にほんの少しの癒しをもたらしてくれている。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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