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出発、さよなら中目黒 【世界旅行記001】

2012年7月13日(金) 東京 → 大阪(東海道新幹線)
2012年7月14日(土) 大阪 → 韓国 釜山(フェリー PanStar Cruise Ferry)

バタバタと家を出てきてしまった。水曜日にインドのビザを受け取れたので、昨日、予定通り大阪からフェリーに乗り、釜山に到着した。大阪へ向かう新幹線のなかで、いつになく感傷的な気分になった。もう、あの住み慣れた中目黒の家には戻らないと思うと、切なさがこみあげてくる。筆箱のなかに妻からの手紙が入っていた。なぜ、妻が退職するまで待てなかったのだろう。「会社を辞めてから1か月半も経ってしまった」という思いが強く、最後は逃げるように飛び出してしまった。妻とは1か月後にどこかで合流しようと思っている。

4年間住んだ中目黒に別れを告げる。
こんな居心地のよい街をなぜあえて離れるのだろう?という思いがふとよぎる。

大阪のフェリー乗り場、そこはもう韓国だった。人も言葉も匂いも。そんななか、二段ベッドが2つ並ぶフェリーの部屋は、日本人2人だけだったので安心した。ところが、この30代半ばの日本人がタチ悪く、夜、酔っぱらって部屋に戻ってくると、「なんで会社、辞めちゃったんすか。大丈夫なんすか、辞めちゃって」としつこく話しかけてくる。挙げ句の果てにはわたしの出身大学まで聞き出し、「それだったら辞めても大丈夫ですよ、エリートじゃないすか」「お給料いくらもらってたんすか」といった下世話な話の繰り返し。最後は「もう寝るんで黙ってください」と3回言って強制終了。とんだ同乗者だった。

フェリーは瀬戸内海を抜けて、釜山へ出る。
それが楽しみで乗ったようなものだが、あいにくの天気だった。

さて、釜山に着いて宿探し。釜山駅の目の前にあった東横インに入ったら満室で焦る。土曜日であることを忘れていた。これからも週末の宿の確保には気をつけねばならない。ロビーのパソコンでホテル予約ができたので調べてみると、まさにいま立っているこのホテルに空きがある。フロントの情報とは異なるが、一室キャンセルでも出たのだろう。急いで予約し、嬉々としてフロントに行くと、そんな予約は入っていないという。よく見たら、釜山にある別の東横インを予約していた。なんたる慌てん坊。そんなやり取りを経て、今日は西面(ソミョン)にあるホテルに宿泊することになった。連日こんなホテルに泊まっていたら資金が尽きてしまうが、長い船旅のあとだから、今日だけは特別だと自分に言い聞かせる。

屋台で安いトッポギやおでんを食べてまわる。
意外とお腹いっぱいになる。

2024年7月14日(日)のつぶやき
いよいよ、旅がはじまった。大阪でフェリーに乗ったときの雰囲気や匂いは、いまも記憶に残っている。釜山の宿を探しながら、まだわたしは3泊4日くらいの旅行気分で過ごしていた。都会から都会へ。あてどない旅の心地よさに浸るのは、もう少し経ってからだった。

釜山の夏は暑くて、大汗をかきながら歩いた。昨今の東京は、あの頃よりずっと暑い。7月になれば30度超えは当たり前だし、とつぜんスコールのような大雨が降ったりする。ジメジメとした湿気が身体にこたえる。日本も南国の仲間入りだ。夏場は働かない方がいいかもしれない。そんなわけにもいかないが……。

フランス革命が起こった今日は、母親の誕生日でもある。旅をはじめてちょうど1年後の今日、母親は記念すべき還暦の誕生日を、わたしたちの旅に合流してパリで過ごすことになる。その話は、来年の旅日記まで大切に取っておこう。お母さん、これからも元気でいてね。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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