インドでビーチ 【世界旅行記068】
2012年11月14日(水)〜15日(木) アウランガバード → ゴア(夜行バス)
2012年11月18日(日) ゴア
アウランガバードから、またしても夜行バスに乗って、インド南西部にあるゴアへやってきた。
ディワリ期間中は鉄道がどこもかしこも満席で、夜行バスばかり利用している。夜行バスは鉄道より何倍も高い金額を取るくせに、乗り心地は全然よくない。今回も、普通の座席よりずっと快適な「セミスリーパー・バス」だと聞いていたが、いざ乗ってみたら、いたって普通のバスだった。たしかに最前列だけは足掛け付きでセミスリーパーといえる仕様だったが、ほかの座席には足掛けなどなく、全員が同じ角度に背もたれを倒さない限り、必ず誰かが不快な思いをする構造の、いわゆる普通の狭いバスであった。
ゴアはインドではめずらしいビーチ・リゾートで、アラビア海に面して10以上のビーチが連なっている。なぜこんなところに来たかというと、多くのインド人に「ゴアはいいぞ。行かないのか? なぜ行かないのか?」と問い詰められ、「そんなにすすめるなら、まあ寄ってみてもいいか。ビーチならゆっくりできるだろうし」と思った次第。
実際に来てみると、たしかにインドでは見かけないような砂浜の光景が一面に広がっていて、インド人がめずらしがって訪れるのもよくわかる気がした。しかし、インド人は泳げない人が多いと聞いたことがある。学校で水泳が必修ではないというのである。実際、海には洋服を着たまま入っていく人が多く、「泳ぐ」というよりは「つかる」という感じである。しかも、よほど海がめずらしいのか、子どもも大人も想像を絶するはしゃぎっぷり。よその国のビーチとは、だいぶ雰囲気が違う。そんな興奮状態のインド人のあいだを、欧米人の若い女性が平然とビキニ姿で歩きまわるものだから、インド人男性はもう興奮が止まらない。
インドではお酒がなかなか手に入らないし、手に入っても高価である。それがゴアでは安く手に入るらしい。それに、キリスト教徒が多数を占めるせいか、どこのレストランでも牛肉や鶏肉が食べられる。そういうこともあって、ゴアは欧米からやってきたヒッピーたちのたまり場になっている。いわゆる沈没状態の長期滞在者も多いらしい。さながら「インドのカトマンズ」といったところである。
かつてゴアは、ポルトガルに占領されており、アジアにおけるキリスト教布教の拠点になっていた。それで、いまでもあちこちに教会が建っているし、キリスト教徒の数もインドのなかでズバ抜けて多いのだという。
わたしたちは、この海辺の町に3泊し、毎日、スクーターに乗ってビーチまで通った。わたしははじめてスクーターなるものを運転してみたが、走っていると海風がなびいてきて、実に気持ちがいい。ところが、臆病者のわたしは超慎重運転だったようで、あとでスクーターで走ったのと同じ道を歩いてみたら、ものの10分で着いてしまった。てっきり、歩いては行けないような遠い距離を走っているものと思っていたのだが……。
ところで、日本人のわたしたちにとって、はたしてビーチを求めて、はるばるゴアまでやってくる必要はあったのだろうか。というのも、ゴア滞在中に、あるインド人に「日本にはビーチがないのか?」と聞かれて、ふと我に返ったのである。日本にもビーチがあるのに、なんでインドのビーチに来たんだっけ。インドではビーチにもやっぱり牛がいる、ということを確認したかったのか?!
しかも、わたしはお酒を一切飲まないし、別に肉食でなくても生きていける(現にインドでは大半をベジタリアンで過ごしている)。ゴアのレストランで、思わずビーフ・ハンバーガーを注文してしまったときなど、食べながら数多の牛の姿が脳裏をよぎって、最後の一口まで罪悪感に苛まれ続けたくらいだ(もちろん最後の一口までおいしく頂いた)。インドでは牛肉は食べないほうがいい。お酒が好きな妻には、この地は最適かと思われたが、そんな妻ですら、「ひさしぶりにビールを飲んだがおいしくない」と言い出す始末。
ゴアでは、毎晩のようにパーティが行われているらしいのだが、そんなものにもわたしはまったく関心がない。日本でもパーティに誘われたら断るのに、なぜインドまで来てビートに乗って踊らなければならないのだ。ハッパにも大麻にも興味はない(夜の町では、ラリっているような外国人を多く見かけた)。
ビーチ自体は嫌いではないけれど、塩で体じゅうがベトベトするのがいつも気になる。泳ぎも得意ではない。どちらかといえば、川辺で本を読んでいる方がずっと快適だと思うタイプである。こう書いていたら、なぜわざわざゴアまで来たのか、自分でもわからなくなってきた。
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