ムンバイはインドであってインドでない 【世界旅行記064】
2012年11月10日(土) インド ムンバイ
ムンバイへ着いて、おどろいた。インドにも、こんな近代的な都市があったのか。イギリス時代の歴史的建造物がそのまま残り、街並みはヨーロッパの都市そのものである。広い石畳の道路がはりめぐらされ、重厚な石造りのマンションが整然と並んでいる。大きな街路樹の隙間からは、木漏れ日がまぶしく射し込んでくる。インドのどの街でも見かけるオートリクシャーは、環境に配慮してか市街地には入れないようになっている。その代わりに市民の足になっているのは、膨大な数のタクシーである。黒と黄色に塗られたレトロな車体のタクシーが、いい感じにムンバイの街並みに彩りを添えている。
ここは本当にインドなのか? イギリスのなかにインド人が住んでいるような、不思議な感覚に陥る。もちろん、一歩裏道へ入れば、物乞いが路上で生活しているし、牛だって少しはいるし、やっぱり道はゴミであふれて臭い。けれども、北インドをまわっているだけでは想像もつかないような街並みが、そこにはあった。
おどろいたのは街並みだけではない。人がまったく違う。これまでインドの各都市をまわっていて、ずっとインドの子どもたちに感心していた。彼らは本当におとなしく、親の言うことをちゃんと聞く。長距離のバスや列車に乗るたび、必ずと言っていいほど、「こんなところに赤ん坊がいたのか!」と驚嘆したものである。そのくらい、幼い子がちょこんと静かにお利口に座っている。インドの子どもたちは、とにかくじっと耐えることに慣れている。日本の大人より、よっぽど忍耐力があると思う。幼いうちから働いている子どもだって多い。この国では、「子どもだから」という特権はあまり有効でないように感じる。中国で、一人っ子政策によって誕生した「小皇帝」と呼ばれる、いかにもワガママな子どもたち、そしてそれを許容する親たちの身勝手な姿を散々見てきたので、なおさらインドの子どもたちが、いじらしく、かわいらしく見えたものである。
ところがムンバイへ来て、いままで見てきた子どもたちがインドの一側面にすぎないことを知った。ムンバイはインド最大の都市だけあって、金持ちがたくさん集まっている。街並みだけでなく、人も現代的である。サリーを着た女性はおろか、サリーの簡易版であるパンジャービーを着た女性すら、なかなかお目にかからない。みなジーンズを履きこなし、颯爽と歩いている。男性にいたっては、伝統服であるクルターやドーティーを着ている人は皆無に近い。
カフェに行けば、派手に着飾った若者のカップルたちが、大声でしゃべり散らし、我が物顔で従業員をこき使っている。親に連れられて歩く幼い子どもたちも、ぷくぷくとよく太って、いかにもワガママ放題に振る舞っている。大人も子どもも、よく肥えているのが特徴である。女性の化粧は総じてケバい。
インドに進出したばかりのスターバックスに何時間かいて観察したが、平気で飲食物を残す習慣にも、おどろかされた。わざわざ買ったクッキーを、一口しか食べずに残して帰ってしまう。インド人からしたらかなり高価格帯の商品だろうに、「気に入らなかったら残せばいい」という発想が、大人にも子どもにも共通して見られる傾向だった。こんなことは、インドのほかの街では考えられないことだった。
結局は、文明が発達し、経済的に豊かになるとは、こういうことなのだろう。これが物欲にまみれた人々の姿なのだ。東京で感じる不快感と同じものが、インド最大の都市には存在する。いままで見てきたのは、まだ経済も充分に発展しておらず、インフラや情報も行き届いていない地域に住む人々であって、そういう人々を見て、「なんて純粋ですばらしいんだろう」と思っている自分は、たんなるノスタルジーにひたっているにすぎないということを思い知った。「古きよき日本はよかった」と言っている年寄りと、まるで一緒である。貧しい人々の心が豊かだというのは、一面では正しいかもしれないが、だからといって、彼らが住む地域もだんだんと発展し、そしてやがて同じように物欲にまみれていく運命にある。だから、貧しいほうがいいとか、むかしはよかったとか、そういう議論は無意味になる。
私利私欲にまみれたムンバイの人々を見てガッカリする自分は、いったいどれだけ身勝手なのだろう。ムンバイへ来て、インドではじめてスターバックスを見つけて喜んだのは、まさにこのわたし自身である。どこへ行っても冷房が効いていて安心したのも、道路がきれいに舗装されていて安心したのも、このわたしである。それなのに、ムンバイの人々にはノスタルジーを求めようとする。それは、先進国から来た一観光客の傲慢さそのものである。日本のような先進国から発展途上国を訪れて、現地の人から見たらおそろしいほどの大金をばらまきながら、この国は貧しいとか、インフラが整っていないとか、ああだこうだと言いたい放題で帰ってくる。それはある種、金持ちの悪趣味ではないかと思えるときがある。
しかし、現地の人たちと同じ目線で地を這うように旅をするのは、わたしが日本人である以上、困難を極める。わたしは発展途上国で、どのような態度で旅を続けるべきなのだろうか。ひとつ言えるのは、貧しい国の人々を見て、「ああ、日本もむかしはこんなだったのだろうな」と感慨にひたったところで、なにもはじまらないということである。