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ハロン湾日帰りツアー 【世界旅行記080】

2012年12月18日(火) ハノイ

ハロン湾は日帰りで行くか、船の上で1泊するか迷った。インターネットで調べてみると、行ってみたら天候が悪くて岸のホテルに泊まらされたとか、退屈するから泊まるほどではないといった情報もまま見かけたので、5分だけ考えて日帰りで行くことに決めた。

日本人は本当にマメに情報をアップしてくれるから、世界中どこの街へ行っても困らない。はっきり言って、こんなに情報にあふれた世の中では、よほどの秘境でない限り、いわゆる放浪と呼べるような旅はできっこない。インターネットを使わなければ可能かもしれないが、便利なツール(しかも無料)があるのにそれを使わないのは、あまのじゃくだと思う。

わたしは、この旅で放浪しているという意識はまったくない。誰かが通った道をなぞっているだけである。それも、誰かが犯した失敗を繰り返さないように、である。つまり、ここの国境では平然と賄賂を要求してくるから気をつけたほうがいいとか、あそこの宿は南京虫が出るから避けるべきとか、注意すべきポイントをあらかじめ把握して旅を進めるのである。そんな旅を放浪とは呼べないだろう。

ハノイ市内からバスで3時間半、昼前にハロン湾に着き、船に乗った。そして、船に揺られながら昼食を取った。このツアー料金に含まれている昼食がまずいという書き込みが多かったので、期待しないでいたが、そのわりにはおいしかった。揚げものや炒めものが出来立てのアツアツで出てきたのだから、それだけで上出来だと思った。

この昼食は、4、5人ずつのテーブルにわかれて料理をつつくのだが、ガイドが音頭を取らずにツアー客がバラバラと勝手に座ってしまったため、人数がうまく合わなくなってしまった。韓国人の母娘が「わたしたちは3人同じテーブルでないとイヤだ」と言い出して、しばらく揉めた。マレーシア人の家族連れは、お父さんだけが席にあぶれてしまったが、文句ひとつ言わずに、だまってひとつ席の空いていたわたしたちのテーブルへと移ってきた。

わたしたちのテーブルは、このマレーシア人のお父さんと、年配の日本人、イタリア人の青年の4人になった。イタリア青年は、ひとりで半年間の旅行中だという。カナダ、アメリカをまわり、そのあとアジアを旅しているところだという。

わたしが世界旅行中だと言うと、マレーシア人のお父さんが興味を持って、予算はいくらなのかと聞いてきた。わたしがだいたいの金額を言うと、お父さんは「ほお、そうか」といった顔つきになって、それから押し黙ってしまった。だいたいアジアの人に世界をまわっていると言うと、最初は「それはすごい!」と言うものの、彼らの金銭感覚からはどうも実感が湧かないようで、だんだん夢物語を聞いているような感覚になるのか、最後は黙りこくってしまうことが多い。こればかりは物価差の問題だから、どうしようもない。わたしが日本で金持ちなのでもなければ、彼らがその国で貧乏なのでもない。イタリア青年は、わたしの金額を聞いて、「そうそう、そんなもんだよ」と煙草をふかしながら頷いていた。

4人で話に夢中になっていると、まわりの乗客がデッキに出ていなくなっていた。わたしたちも追いかけるようにデッキへ向かった。そこには、よく写真で見るハロン湾の光景が広がっていた。わたしはてっきり、岸からすぐのところに小さな湾が広がっていると思っていたのだが、実際は岸から20分くらい船で行ったところに、例の大小さまざまな奇岩が広がっているのであった。

湾に浮かぶ船着場から、竹を編んでできた手漕ぎの小舟に乗り換え、洞窟のなかへ入っていった。完全に観光地化された場所ではあるが、なんとものどかな時間が流れていた。巨大な岩に囲まれた空間は、ひんやりとしていた。ちゃぷちゃぷと水をかきわける音だけが、あたりに響きわたっていた。

そのあと見に行った鍾乳洞は、日本では見たことのないスケールで圧倒された。世界遺産の鍾乳洞のなかを、赤や緑や青などさまざまな色でライトアップしているのがベトナムならでは。そのおかげで、ディズニーランドのアトラクションのように仕上がっており、これが案外悪くなかった。

たっぷり4時間、ハロン湾を周遊して、岸へ戻ってきた。世界遺産に限らず、有名な観光名所を見るときは、周囲の景観や騒音にガッカリすることが多いので、写真で見る風景はほんの一部にすぎないんだと言い聞かせるようにして、過度な期待は持たないようにしている。

今回のハロン湾は、事前の情報などから、とくに期待値を低くして出かけた。しかし、実際に見たハロン湾の光景は、天候に恵まれたこともあり、その期待値を充分に上回るものであった。

帰りのバスから、ハロン湾に沈む大きな夕日が見えた。もし次回があれば、湾の上からこの夕日を眺めるのも悪くないと思った。ただ、4時間いただけでも海水の塩分で身体がベタベタしたから、デッキの上で1日くつろいだとしても、あまり気持ちのいいものではないかもしれない。

帰り道、昼食で同席だった年配の日本人が、「せっかくだから一緒に夕食でも食べようや」と言うので、彼のホテル前で一緒に降ろしてもらった。「日本食が食べてえなあ。おいしい日本食が食べてえなあ。どこか知らねえか」と彼はしきりに言ってくるのだが、わたしはまだハノイに着いたばかりで、右も左もわからない。ホテルのスタッフに聞いてみたら、日本料理屋は7キロも離れていると言われてしまった。「じゃあ仕方ねえや。近くで食べようや」ということで、ホアンキエム湖のほとりにたたずむレストランで、えらく高いチャーハンと揚げ春巻きをごちそうになった。

彼の名は糸井さん(仮名)。御年63。年末年始をはさんで約1か月のひとり旅中で、ベトナム、ラオス、カンボジアを回る予定だという。独り身だというが、話を進めていくうちに、36歳のときに奥さんと別れ、長らく会っていない娘さんもいるという。もう結婚は二度とコリゴリだから、以後は独身を通している。

これまでに、タイには40回も行ったという。ラオスには契りを交わしたという弟が待っているという。タイのチェンライに住もうと思って、10年前にタイ語を必死に学んだから、タイ語はだいたいわかるらしい。でも、もうタイに住むことは、きっぱりやめたという。「タイはあぶねえよ。ほんとにおっかねえところなんだから」。なんだか先日読んだ『老いて男はアジアをめざす』を地で行くような人である。この人は、ぎりぎりのところで踏みとどまったらしい。

「俺はさあ、10年前からいっさい物欲がなくなったんだ。いまはなにも欲しいものはないよ。でも、旅は好きだなあ。旅はやめられないね。俺もインドへ一度は行ってみてえなあ。でもおっかねえだろう? ひとりじゃ行けねえなあ」

煙草をふかしながら、饒舌にしゃべる。しかし、わたしのことはあまり聞かない。押上に生まれて亀戸に住んでいるというから、江戸っ子だろうか。いかにも、せっかちを絵に描いたような人である。

「昨日、ホーチミン廟へ行ったらよ、行きは1ドルくらいで行けたのによ、帰りに乗ったタクシーの野郎が25ドルだって言いやがんのよ。おれ、頭にきちゃってさあ。でも言葉も通じねえしよ、もうほらやるよって、20ドルあげてきたんだ」

おそらく、運転手はメーターに表示された「25」をドルと言い張ったのだろう。しかし、それは「25,000VND(ベトナムドン)」の意味である。千の単位は省略するのである。表示をよく見れば、ちゃんと単位まで書いてあるのだが、せっかちな彼のことだから、そんなものは見てもいないだろう。こうやってたくさんお金をばらまく人がいるから、日本の高齢者は狙われる。

糸井さんは、明後日あたり、飛行機でラオスへ向かおうと考えているという。わたしは、バスでラオスへ向かおうと思っている。レストランを出ると、「もしかしたら、ラオスでまた会うかもな。ま、元気でよ!」と言って、糸井さんはそそくさと暗闇に消えていった。

なんだかおもしろい人だった。本当にこんなてやんでえ人生を送っている人がいるのかと思うと、不思議な感じがした。ひとり旅同士は、ふらっと一緒になって、ふらっと去っていく。次会う予定なんか決めない。もしまた会ったら、そのときはそのときなのである。旅人には人間好きが多いから、ほんのひとときでも時間を共有すると、別れるさびしさが生じるということもあるだろう。それを紛らわすために、わざとあっさり離れていくのかもしれない。

いずれにしても、この人とはもうこれきりで、また会うことはないと思った。ところが、彼との縁は、これで終わりではなかった。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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