アシュラム滞在記(9) ガンジス河でラフティング 【世界旅行記056】
2012年10月25日(木) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)
10月25日、木曜日。
昨夜急遽決まって、午前中にガンジス河(ガンガー)でラフティングをしてきた。ガンガーの上流に位置するリシケシュは、山に囲まれた自然豊かな土地で、ラフティングやバンジージャンプ、キャンピングなど、アウトドアスポーツが盛んに行われている。もちろん、すべて外国人観光客相手の商売である。
メンバーは、わたしたち夫婦のほかに日本人が2人、それにオランダ人の青年ロビンとイタリア人の女の子バレンティナの合わせて6人。みなアシュラムに滞在しているか、ゲストハウスからアシュラムに通っている面々である。
朝は8時半集合と決まっていたのに、日本人2人とロビンが平然と遅れてきた。昼までに戻れるように集合時間を決めてもらっていたにもかかわらず、である。それでわたしは彼らに注意した。遅れている認識がないのなら気づかせるべきだし、遅れている認識があるのに謝らないならそれは他人を軽視している。こういうとき、わたしは相手が外国人だろうと誰だろうとおかまいなしに、主張すべきと思ったことは頑なに主張する。英語力があまりに不足していてうまく伝えるのが大変だが、それでも数少ない語彙をぜんぶ使って、言いたいことはどうにでもして言い切る。ロビンはいたく反省したようで、平身低頭で謝ってきた。わかってくれればそれでいい。そのあとは2人ともそれはそれ、これはこれ、と何のわだかまりもなくすごした。
さて、全員集合。わたしたち6人のほかに、インド人のイケイケガイドとサポート役が2人ついて、合計9人で出発。車で上流まで行き、そこからボートに乗って、16キロの道のりを2時間ほどかけて下ってきた。
ガンガーの水は、上流だけあって幾分か澄んでいる。下流にあるバラナシの、あの濁りきった汚いイメージとは、同じ河とは思えないほど趣が異なる。途中何度か転覆しそうなほど激しい波を乗り越えたが、それ以外はゆったりとした流れを味わった。悠然と流れるガンガーから見渡すリシケシュの町並みは、臭い匂いも騒音もなく、絵に描いた景色を眺めているようだった。
はじめてのラフティングはエキサイティングで楽しかったし、ガンガーで泳いだのもいい記念になった。ただ、アシュラムでの静かな生活とはあまりにかけ離れていて、まさに俗のなかの俗。そのギャップに心がなかなかついていかず、戸惑った。イケイケガイドに乗せられて無理やりテンションを上げ、一緒に「イエーイ!」などとはしゃいでみたものの、なにやってんだ自分、てな感じである。
それに、わたしは同乗した日本人の態度に苛立ってしまって、すっかり平常心を失ってしまった。というのも、この男性が、いかにもわたしの嫌いな日本人の典型であって、つねに自分本位、興奮するとすぐまわりが見えなくなるタイプの人間だったのだ。しかも日本人同士だからあうんの呼吸で通じるとでも思っているのか、ことあるごとにわたしが苛立つような行動を取ってくる。ボートには我先にと乗り込むし、集合写真を撮れば他人のカメラなのに前面に立ちふさがってひとりポーズを決め、うしろの人が見えなくなってしまう。挙げ句の果てには休憩中、わたしに無言で「この皿をあっちへ置け」と指示までしてきた。
彼を見ていて、わたしはまざまざと思い出した。そうだ、わたしはこういう日本人と接するのが心底イヤで、日本を飛び出してきたのだ。
道でぶつかってもなにも言わない、振り返りもしない日本人。満員電車のなか、ジワジワと無言で他人を押しのける日本人。家族・知人以外の他人すべてをモノとでも思っているのだろうか。冷たい日本人。他人を慮れない日本人。不機嫌そうな日本人。思っていることを口に出さない日本人。衝突を恐れて堂々とふるまえない日本人。ありがとうの一言も素直に言えない日本人。 ―― なぜもっと表情で、言葉で、全身で、他人と接しようとしないのだろうか。そういう人と接するたび、反吐が出そうなほど嫌悪感を抱き、そして自分もそんな陰気な日本人のひとりなのだと思い至り、なお嫌気がさした。この日本から、少しでも離れたいと思った。
ささいなことを気にしすぎだ。そんな小さなことにいちいち腹を立ててもしかたないじゃないか。そう助言してくれる友人もいた。しかし、わたしはそうは思わなかった。これは生き方の問題だと思った。それらの行為は、他人をひとりの人間として尊重していたら絶対に取らないような行動なのだから。もし自分が相手の立場だったらどう思うか? そんな簡単なことに思いも寄せられない人たちと一緒に、なぜ生きていかなければいけないのだろうか。
これが「日本人」の特徴なのか、あるいは同じ母国語で話す同じ国に育った人々だから抱く特徴なのか、わたしにはわからない。つまり、わたしは日本人だから、同じ日本人がなにを考えているのか、言葉だけでなく仕草や表情から瞬時に読み取ることができる。言外に表れた細かい感情の差異が手に取るようにわかる。それゆえ苛立つことも多いのだ、と考えることもできる。
これが外国人相手だったら、細かい差異がわからずに、おおざっぱなコミュニケーションしかできないから、お互いの理解も浅く、それゆえ苛立つことも少ないのではないか。多少は伝わらなくて当然と思っているから、ちょっとくらいのミスコミュニケーションは許容範囲になる。
一方で、ほかの国に生まれ育った人が、自分の国の人に対してこういう思いを抱くのかというと、こればかりは推測するしかないが、必ずしもそうではないのではないかと思う。むかしから海外の人々が指摘する日本人の特徴は、「しゃべらない」「主張しない」だった。だから、やっぱり「日本人」としての特徴も大きいのだ、とも言える。個人的な経験でも、言語力の問題はあるにせよ、海外の人々と接していて、そこまでイヤな感情になったことは滅多にない。
残念ながら、わたしは「日本人」しか経験したことがないので、わたしの嫌いなコミュニケーションスタイルが、どちらの考え方に起因するものなのか判断がつかない。
ただ、いずれにしても、そういう大嫌いな環境からせっかく逃げてきたのに、なぜインドの山奥まで来て、また同じ思いをしなければいけないのか。そんな身勝手な不満が募って、今日は大きな負の感情のスイッチが入ってしまった。関係のない妻にまで当たってしまう始末。いまでは少し反省している。
今後、わたしはこういう人たちとどのように接していけばよいのだろうか。まだ答えは見つからない。
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結局、ラフティングの時間が押して、12時のランチに遅れてしまった。アシュラムの生活は時間に厳密で、食事の際も、みなでお経のような文句を唱えてから一斉に食べはじめる。わたしたちは校則を破った子どものようにばつの悪い顔をして、びしょ濡れの格好のまま、急いでテーブルについた。すでに大半の人が、食べ終わりかけていた。
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