赤い祭りと火葬場と 【世界旅行記039】
2012年9月20日(木) ネパール カトマンズ
幾日ぶりかに晴れた。眩しい陽の光を感じたら、外へ出たくなった。昨日までの鬱々とした自分が嘘のように、鼻歌でも口ずさみたくなる。急に活動的になる。人間の気持ちなんて、天気ひとつでころっと変わってしまう。
明後日、ビザが切れる前にインドへ向かおうと思う。何人ものネパール人に勧められたポカラにも行かなかったし、知り合った現地の学生が熱心に誘ってくれた、ネパール最大の祭りも見ずに去ることになる。でも、このタイミングを逃したら、また動くのが億劫になってしまうと思う。いまが潮時だと思う。
カトマンズは昨日、年に1回の女性の祭り(ティージ祭)で賑わった。既婚女性は夫の健康と幸せを、未婚女性は素敵な夫に恵まれることを祈るという。華やかな赤いサリーで着飾った女性たちが、続々とパシュパティナート寺院へと向かっていく。そんな日だと知らずに寺院へ向かっていたわたしたちは、はからずもその人波にのまれ、その人波とともに歩いた。
パシュパティナート寺院は、ネパール最大のヒンドゥー教寺院である。寺院に到着すると、そこには入場を待つ女性の列・列・列。ねずみ1匹通しませんとでも言うかのように、赤い体が密着して列をなしている。広場には、踊り狂う女性の群れ・群れ・群れ。あまりの迫力に、思わず、見とれる。
赤い踊りをしばらく堪能した後、喧騒をくぐり抜け、寺院のまわりをぐるっと回って川沿いへ出た(もともと、この寺院のなかにはヒンドゥー教徒しか入れない)。対岸に寺院が見え、その横を白い煙が立ち昇る。火葬場である。
寺院に面したこの川は、はるかガンジス河へと通じている。だから、この川に遺灰を流すことは、ネパールに住むヒンドゥー教徒の念願なのだという。10台の火葬台のうち、7台が稼動していた。祭りに湧く寺院の横で、淡々と遺体が焼かれている。対岸から、じっとその様子を眺める。
悲しんでいるように見える者はいない。あまりに淡々と、あたかも日常の一環の、ほんの一場面であるかのように遺体が焼かれ、塵を掃くのと同じように、遺灰が川に掃かれていく。焼き終わったばかりの薪は川に流され、それを下流で少年が受け止める。乾かして再利用するのだろうか。1体が焼き終われば、せっせと次の薪が組み上げられていく。おそろしいほどに淡白な循環。そして、それを冷静に見つめる自分。
インドのバラナシで同じような光景を見たことがあるからだろうか、火葬場を見ても何の感情も湧いてこなかった。燃える薪の隙間から遺体の足が見えても、こわいとか、不気味だとか、そういう感情が一切湧いてこない。祈るような気持ちになるわけでもない。それが正常なのか異常なのか、わからない。この無感情な自分が、まだ受け止め切れない。何かが欠けているのだろうか。どんな感情になれば、自分は納得しただろうか。
いずれにしても、今日は晴れた。また雨が降る前に、インドへ向かおう。
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