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バンガロールでホームステイ 【世界旅行記069】

2012年11月18日(日)〜19日(月) ゴア → バンガロール(夜行バス)
2012年11月22日(木) バンガロール

ゴアから夜行バスに乗って、バンガロールに到着した。ムンバイからアウランガバード、アウランガバードからゴア、そしてゴアからバンガロールと、立て続けに3回も夜行バスで移動してきたが、もう当分乗りたくない気分。列車移動のほうが、よほど快適である。

バンガロールを訪れたのは、妻の知り合いに会うためであって、それ以外の目的はほとんどなかった。あえて言えば、インド東側へ出るための経由地という程度。実際、バンガロールは「インドのシリコンバレー」とか「インドの庭園都市」とか言われているが、見どころはそんなに多くない。シリコンバレーというわりには、街なかは思ったよりインドそのもので、特段洗練されているわけではないし、広大な庭園も、それ目当てに訪れるほどのものではない。この地を観光目的で訪れる人は少ないと思う。

ちなみに、バンガロール(Bangalore)というのはむかしの地名で、現在はベンガルール(Bengaluru)が正式名称だと聞いていた。ところが、いまだ駅名すらバンガロールのままという有り様で、新しい地名はまったく浸透していない。調べてみたところ、2005年に州で改名方針が決まったものの、いまだ国の許可が下りておらず、正式改名には至っていないとのこと。なんとも中途半端な状態である。

さて、妻の知り合いというのは、前職で同僚だったインド人である。コンピュータ・メーカーに勤めていた妻は、わたしと違って語学ができ、グローバルな環境で働いていた。それで、アメリカ、中国、インド、マレーシア、シンガポールなど、さまざまな国に知り合いができた。そのひとりを訪ねてみようというのである。

ここで奇妙なのは、妻はその元同僚の顔を知らないというのである。仕事は電話会議で事足りるので、一度も顔を見ずにメールと声だけで仕事をしてきたという。わたしのように国内でドメスティックに働いていた人間からすると、信じがたい状況である。こういう企業では、場合によっては上司が外国人で、一度も上司に直接会ったことがない、という事態も起こりうる。もちろん上司だから、人事考課もされれば、その結果で年収も決まってしまう。

わたしも電話会議で仕事をした経験はあるが、そういう場合でも、相手は実際に面識のある人がほとんどだった。相手の人となりを知っているので、電話でも相手の意図するところを補いながら、協働することが可能だった。しかし、電話の向こうの相手が、会ったこともなければ、顔も見たこともない得体の知れない人物で、それなのに、いきなり同じ目的に向かって進め!と言われたら、わたしならおおいに戸惑うだろうと思う。しかも、相手が外国人なら、なおさらである。

わたしは一緒に仕事をする以上、その人がどんな考えを持った人なのか知りたいし、仕事以外のことも知りたいと思う。一方で、妻は仕事でプライベートなことは聞かれたくないし、相手に聞く気もさらさらないという。そういうドライな人には、新しい時代のワークスタイルは適しているのだろう。こう考えていくと、わたしのような考え方は、まさに古い世代の思考そのものだろうか。いまだに、(機械的な仕事ならともかく)実際に会わずして創造的な仕事は不可能でないかと思ってしまう。

まあ、そういうわけで、顔も知らない元同僚に妻は会い(この場合は再会とは言えないだろう)、わたしも一緒にバンガロールでお世話になった。

彼のことを、妻はずっと「ラメッシュおじさん」と呼んでいた。そして、「彼の仕事ぶりはけっこうきっちりしていたし、よく苦情も言われたから、もしかしたら怖い人かもしれない」という。だから、顔も知らない彼に会うとき、わたしたちはちょっと緊張していた。ところが、実際に会ってみると、なんとも気さくで家族思い、妻は「仕事からは想像もつかない!」と嘆くほどにやさしい人だった。

最初に会って夕食をご馳走になったあと、ラメッシュは「あした1日、一緒にどこか行こう」と言い出した。「あれ、仕事は?」「風邪ひいたことにして休む」……そういうことをするから、真面目に働いている日本人が迷惑するんじゃ?と思いつつ、わたしたちにとってはうれしいことなので、厚意に甘えさせてもらうことにした。

ということで、翌日は、バンガロール郊外にあるナンディ・ヒルズという山に連れて行ってもらい、そのあとはラメッシュの自宅で夕食をごちそうになった。あげくの果てには、そのまま家に泊めさせてもらうという始末。すっかりお世話になってしまった。インド人の家に泊まるなど、なかなかできない経験。バラナシでは、ボート漕ぎの家で食事をごちそうになったりしたけれど、さすがに泊まるまでの経験はしていないし、泊めてもらえるようなスペースもないような家だった。

ラメッシュの家は、どうやらけっこうな資産家で、バンガロール市内の閑静な住宅街に、両親が一軒家を2軒所有しており、そこに弟一家とともに住んでいた。

ラメッシュは44歳。11歳と8歳になるかわいい二人息子がいて、1つ歳下の奥さんとともに、誰が見ても仲のいい家族そのもの。それもそのはず、奥さんとはインドではめずらしい恋愛結婚だという。

奥さんの実家はチェンナイにあるのだが、お父さんがバンガロールに単身赴任していて、毎年、夏休みになると子どもたちがバンガロールに遊びに来ていた。ラメッシュの家はその数軒となりにあって、幼い頃から2人は知り合いだった。それで2人は結ばれた。ところが、カーストの問題などがあって、いまだに奥さんの両親とはうまくいっていない。ラメッシュは、そんな話をしてくれた。結婚式のアルバムを見せてもらったが、たしかにラメッシュの家族はおおぜい写っていても、奥さんの両親は見当たらなかった。しかし、いま、ラメッシュと一緒にいる奥さんは、終始ニコニコしていて、とても嬉しそうな表情をしている。それが、一家のしあわせを物語っていた。

ラメッシュの家でごちそうになったご飯は、とにかくおいしかった。バラナシのボート漕ぎの家で食べたご飯もおいしかったし、同じくバラナシで泊まった家族経営の宿の手づくりご飯もおいしかった。家庭の味に勝るものはないと思う。

そんなこんなで、家族じゅうに親切にされながら一晩を過ごし、翌朝、学校へ行く2人の坊やたちを見送ってから、わたしたちはラメッシュの家をあとにした。今日は出勤するというラメッシュが、駅の近くまで車で送ってくれた。最後の最後まで、お世話になりっぱなしだった。

顔も知らない「ラメッシュおじさん」に会うためにバンガロールまで来て、すっかり打ち解け、最後は別れが名残惜しいほどになっていた。実は、最初に会ったときは、ラメッシュも様子を伺うような感じであった。わたしたちが「どんな人だろう?」と心配していたのと同様に、彼だってやはり若干の不安を抱えていたに違いない。日本から会社を辞めた夫婦が自分に会いにやって来るという。彼には、会社を辞めて旅に出るなど、想像もできないような出来事だったらしい。とんでもないやつが来るかもしれない、という不安は絶対にあったはずである。

それが、夕食をともにしながら、いろんな話をして、少しずつ打ち解けて、それでやっと彼は、「家に遊びに来る?」と言ってくれたのだ。会ったときから諸手を広げて大歓迎、というわけではなかったのである。信頼関係を築くには、それなりの時間を要するし、お互いに胸襟を開いて話さなければ、相手の懐にぐっと入り込むこともできない。やっぱり、「顔の見えるコミュニケーション」は重要なんじゃないだろうか。

ラメッシュと奥さんのガンガ。ばっちり着飾ったサリーで出迎えてくれた。
かわいい息子たち。お兄さんのニチャン(左)と弟のローチェン(右)。
わたしたちが泊めさせてもらった広い部屋。ふだんは誰も使っていないという。もったいない!
ラメッシュと弟一家、大集合。両親も一緒に住んでいる。みな本当に親切で温かい人たちだった。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。

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