「顔」が訴えてくる 【世界旅行記075】
2012年12月9日(日) プノンペン → ベトナム ホーチミン(バス)
プノンペンで、チュンエク大量虐殺センターに立ち寄った。カンボジア国内に100以上あるキリング・フィールド(大量虐殺場所)のひとつで、ポル・ポト派(クメール・ルージュ=赤いカンボジア人の意)による残虐な行為を現代に伝えている。
敷地内には、大小数十の窪みがある。いまは草が生えて一見公園のように見えるその場所が、まさに遺体が埋められていた場所であり、いまもところどころに人骨の一部や衣服の切れ端が落ちているのが見えた。中央の慰霊塔には、ここで発掘された頭蓋骨の数々が、これでもかと積み上げられている。その数は9000にも及ぶ。
日本語のオーディオガイド機があったおかげで、当時の様子や歴史的背景がよくわかり、クメール・ルージュに対する理解は深まった。それでも、なぜ民族闘争でもないのにポル・ポトはここまで自国民を憎しみ、徹底的に虐殺し得たのか、そこは解せないままだった。しかも、史上類を見ない悪行が国際社会に暴かれ、その地位を追われてもなお、誰に殺されることもなく69歳まで生き続けたのだ。いったいどういうことなのだろうか。カンボジアの人々の心がわからない。しかも、いまから40年も遡らない時代の話なのである。もうすこし勉強が必要そうである。
そのあと、トゥール・スレン博物館へと向かった。もともと学校だった場所が当時は監獄に変わり、大量の拷問・処刑が行われた。その場所が、当時の姿をそのまま残して博物館となっている。
内部には、犠牲者となった人々の顔写真がパネル展示されていた。入獄時に撮影したものと思われる。その数は、実に数千を超える規模。一人ひとりの顔が、そこを通る者に訴えてくる。若い男性もいれば、まだあどけない顔をした学童の姿も多い。悲壮な顔をした老人が立っている。思いつめたような表情でカメラを見つめる学者がいる。無表情の者もいれば、いまにも泣きそうな者もいる。カメラに怒りを向ける者もいる。顔という顔が、わたしをじっと見つめてくる。とにかく無表情がいちばん怖い。これから自分の身に起こる事態が把握できていないのか、あるいは諦観の境地に達しているのか。感情のない顔が、こんなに何かを訴えてくるものだとは思わなかった。
キリング・フィールドで見た頭蓋骨も、トゥール・スレンで見た独房や拷問器具の数々も、悲惨な歴史を思い起こさせるものであった。しかし、わたしにはそのどれらよりも、投獄され処刑された人々の顔写真に感情を揺さぶられた。肺腑をえぐるような悲痛な叫びが聴こえてくるようであった。
このあと、ベトナム・ホーチミンで戦争証跡博物館に行ったが、このときも、展示された兵器や戦車よりなにより、戦場写真の数々、戦争を生きる人々の写真にいちばん心を動かされた。多くを語らなくても、「顔」が無言で訴えてくる。写真には、そういう一瞬で人を動かす圧倒的な力がある。
首都・プノンペンは、シハヌーク前国王がこの10月に亡くなったばかりで、街全体が喪に服していた。王宮には遺体が安置されており、一般客は入れなかった。王宮前には大勢の市民が駆けつけ、あらゆる建物には喪章で囲われた前国王の大きな肖像画が掲げられていた。市民の前国王に対する尊敬、親しみの念が伝わってきた。こうした肖像画も、人々に訴える強い力があるし、国の象徴として「顔」が果たす役割も大きいものだと感じた。
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