ブッダガヤへの遠い道のり(上) 【世界旅行記041】
2012年9月21日(金)〜22日(土) ネパール カトマンズ → ビルガンジ(夜行バス) → インド ラクソウル (馬車)→ パトナ(バス)
ネパールからインドへの道のりは、想像以上に厳しいものだった。ネパールからインドへ陸路で入るには、主に三つのルートがある。スノウリを経てバラナシへ抜ける西ルート、ビルガンジを抜けてパトナやガヤへ抜ける中央ルート、そして、カーカルビッタを抜けてダージリンへ抜ける東ルートである。
わたしたちは、インド最初の滞在先をブッダガヤに決めた。バラナシへ入るには気力が足りない。いま行けば、あの街の混沌さに間違いなく押し潰されてしまう。ダージリンは高地で寒そうだし、そのあとのルート設計が難しそうだ。そうして消去法で中央ルートを選択し、ガヤからほど近いブッダガヤへ行くことにした。
前日に、カトマンズでビルガンジ行きの夜行バスを手配した。切符売り場は小汚い路地の一角にあり、ほとんど英語表記もない。本当に安全にバスに乗れるのか不安になる。カトマンズに滞在して2週間。ひさしぶりの移動に、体がこわばっているのを感じる。
翌日の夕方、言われた通りに切符売り場へ向かうと、5、6人の客とともにマイクロバスに押し込まれた。荷物を置く隙間もないほどの狭さだ。まさかこれに乗って朝を迎えるのだろうか。思わず心配になり、運転手に尋ねると、笑いながら「バス乗り場まで連れていくだけだ」という。ほっとする。
バス乗り場(というほどのものではなく、ただの空き地だったが)で1時間ほど待たされ、ようやく本格的なバスが到着した。特段きれいでもないが、大型バスには違いない。わたしたち以外に外国人旅行者は見当たらないが、とにかく出発できてよかった。
暗い夜道をゆらゆらと走っていく。しばらくするとバスが停まったので、トイレ休憩かと思って降りてみると、男性陣が道端に一列に並んで用を足している。たしかにトイレ休憩には違いなかったから、わたしも列の一員に加わることにした。男性は身軽でいい。
翌朝5時すぎ、まだ夜が明ける前に、バスは国境の町・ビルガンジに着いた。乗務員に声をかけてもらわなければ、ここがビルガンジだとは絶対にわからないような、さびれた町だった。乗務員(らしき人)のひとりが、「ここで1時間待って、夜が明けたら馬車に乗れ。そうでないと危ない」と教えてくれた。
馬車でどこかへ連れ去られるのも怖いが、暗闇のなかを待つのも怖い。空が白み始めるのと同時に、わたしたちを待ち続けていた運転手と値段交渉し、馬車に乗った。ここから、インド側の国境の町・ラクソウルまで移動する。距離にして4キロ程度だろうか。そのあいだに、ネパールとインドのイミグレーション・オフィスを通過する。
インド人とネパール人は国境を自由に行き来できるので、うっかりすると通りすぎてしまうほどに、イミグレーション・オフィスは目立たない。ただ小屋がぽつんとあるだけである。私服の係員が2人、小屋の前にたむろしている。わたしたちが行くと、面倒くさそうに小屋のなかに入り、のろのろと処理をはじめた。スタンプひとつ押すのに、どうしてこれほど時間がかかるのか。ネパール側では、スタンプ代まで要求してくる始末。そんなのはおかしいと突っぱねると黙って帰してくれたが、税関ですら信用できない。
二つのイミグレーション・オフィスで時間を食って、ビルガンジからラクソウルまで行くのに1時間半もかかった。ついにインドに到着したのだ、といった感慨にふける余裕もないまま、今度はパトナ行きのバスを手配する(ブッダガヤ直通のバスはなかった)。このバスが、とにかくおんぼろのローカルバスで、わたしたちは散々な目に遭った。もちろん乗客に外国人旅行者などいない(わたしたちだって好んでこんなローカルバスに乗りはしない。ほかに選択肢が見つからなかったのだ)。
いまにも分解してしまいそうな老体バスが、悪路に次ぐ悪路を走る。つねに震度4はあろうかという強烈な揺れが、車内を襲う。小学生の頃に経験した地震体験車を思い出す。まさに「動く地震体験車」である。座席の背もたれは最初から壊れており、勝手に寝そべっていく。車酔いするとかしないとか、もはやそんな次元の話ではない。エアコンなどないから、窓を開けて走る。砂埃が舞い込む。あっという間に全身が埃まみれになる。いま思えば、ビルガンジまでのバスは快適だった。
こういう場面で発揮される人間の順応力は、凄まじい。震度4の揺れを1時間も2時間も感じていると、やがてその揺れのなかでも眠れるようになってくる。気がつくと背もたれを倒したまま、うとうとと眠っていた。
真横で「パリン!」という大きな音がして、飛び起きた。見ると、妻の横の窓ガラスが、粉々に砕け散っていた。直方体のバスが激しくきしんだ結果、ゆがみに耐え切れなくなったガラスが一瞬で粉々になった。幸い破片はほぼすべて道路側に落ちたが、前の乗客と妻が、腕に軽い怪我をした。それからほどなくして、今度はスコールが襲ってきた。窓ガラスを失った窓枠からは、容赦なく雨が吹き込んでくる。窓側の席はびしょ濡れになった。つくづく不運な妻である。
8時間後、ようやくバスはパトナに到着した。とてもじゃないが、今日はもうこれ以上移動できない。パトナに1泊することにした。
パトナはビハール州の州都だが、ビハール州自体がインドでもっとも貧しい地域であり、パトナも期待していたような都会ではまるでなかった。外国人の姿も見当たらない。安宿街まで歩いたが、どの宿も満室だと言って断られてしまった。どうやら外国人(もしくは女性?)は簡単に泊めてくれないらしい。仕方なく、近くの外国人向け高級ホテルに泊まることにした。明日のことは明日になったら考えよう。ひさしぶりの移動に疲労困憊し尽くしたわたしたちは、シャワーで全身の埃を落とし、早々に眠りについた。
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