肥大化しすぎた幻想(下) 【世界旅行記044】
2012年10月1日(月) バラナシ
2年半ぶりに訪れたバラナシは、前回とは景色が違っていた。というのも、前回訪れたのは2月、乾季まっただなかで、いちばん過ごしやすい季節だった。今回は10月、ようやく雨季が終わり、乾季に入り始めたばかり。この違いがなにを意味するかというと、ガンジス河(ガンガー)の水量が違うのである。
2月のガンガーは、いくつも連なるガートを歩いて行き来できるくらいに、水量が少なかった。対岸もカラカラに干上がっていて、手漕ぎボートでも横断できるくらいの川幅だった。ところが、今回行ってみると、ガートの中腹まで水かさが増していて、それぞれのガートが独立してしまっている。だから、ガンガーを眺めながらガート沿いに歩くということができない。対岸は、はるか彼方に遠ざかって見える。とても手漕ぎボートでは横断できないほどに、川幅は広く、水量も多ければ流れもはやい。ガート沿いを散歩するのが楽しみだったわたしには、もはや同じ町とは思えないほどの違いだった。おそらく雨季まっただなかには、さらに水量が増え、違う景色が広がっていることだろう。
ガート沿いを歩けないので、どうするかというと、細い路地を歩いてガート間を行き来する。この細い路地が、おそらくインドでいちばん汚いというか、混沌としているというか、ところ狭しと店がひしめき、そのあいだを牛と犬と人間が同列に歩いていくようなところで、悪臭すさまじく、まるで落ち着かない。これをインドらしいと言って楽しめればいいが、わたしにはそうはいかなかった。そこを通らないと、どこにも行けないというのは、どうにも苦痛だった。
それに加えて、宿の環境もあまりよくなかった。何軒も宿を探しまわって、部屋からガンガーを見下ろせる場所を見つけた。だから、眺めは抜群にいい部屋だったのだが、エアコンは付いておらず、ファンだけでは蒸し暑くて寝苦しい日々が続いた。ドミトリーに泊まっているバックパッカーからすれば、はるかに恵まれた環境ではあるのだが、それでも、なにか活動的になれるような状況ではなく、読書をする気にもならなければ、文章を書く気にもなれなかった。
生産的な活動をするための環境の重要性を、ひしひしと感じた。旅をしながら文章を書く人は多いが、概しておもしろい旅行記を書いている人は、昼間は貧乏風の旅をしていても、宿だけはいいところに泊まっていると思う(海外から招待されて、あるいは補助金をもらって旅行する著名人など)。もしくは、日本に帰国してから、一気にまとめて文章を書いている(沢木耕太郎の『深夜特急』シリーズなど)。
貧乏旅行をしながら、同時に高度なアウトプットをしている人は、はたしているのだろうか。そういう疑問が湧いて、バラナシ以降は、少々高くても環境のよい宿に泊まることにした。わたしの旅の目的は、いかに安く旅をしたか、ではない。
バラナシでは、例のボート漕ぎたちにも再会した。まだ少年らしさを残していたサンディープは18歳になり、ずいぶん大人っぽくなっていた。わたしが会ったとき、ボート漕ぎを辞めてチャイ屋をはじめると言っていたパルカスは20歳になり、今度はカメラマンになっていた。ずいぶんとジョブホッパーである。20歳を超えたアマルは、あいかわらずカメラマンを続けていた。来年結婚するというので、どんな相手か聞くと、まだわからないという。相手が決まっていなくても結婚することが決まっている。なんともインドらしい。
パルカスの家に招待されて、ガネーシャ・プージャというお祈りに参加させてもらった。ヒンドゥー教徒の各家庭では、1年のあいだに何十種類もの儀式を行う。そのうちのひとつが、ちょうど執り行われていた。その日は、象の姿をしたガネーシャという神様をまつる日だったようだ。
翌日は、サンディープの家で昼食をごちそうになった。いちばん上のお姉さんは、結婚して家を出てしまっていた。その代わりに、大きくなった2人の妹たちが、しっかりと家事をこなし、食事を運んでくれた。学校で習っているのか、彼女たちはとても英語が上手だった。
リクシャーの運転手、ラジャにも再会した。前回泊まったホテルまで足を運んで彼を探したが、すぐには見つからなかった。別の運転手が彼の友達だというので、連絡先を渡した。彼は「ラジャは病気だから、明日は俺がどこかへ連れて行ってやる。病気の話をすると嫌がるから、この話は彼の前でするな」と言った。翌日、わたしたちの泊まる宿まで来てくれたラジャは、病気などではなく、いつも通りピンピンしていた。彼に、前回は行けなかったサールナートへ連れて行ってもらった。
こうして、前回と同じようにバラナシを満喫した。けれども、どこかで虚しい心地がした。前回の痕を同じようになぞってみて、それでわたしはどうしたかったのだろう。「俺はこんなにインド人のなかに入り込んでいるんだ」と妻に見せたかったのだろうか。前回のインパクト以上のなにかが起こることを、どこかで期待していたのだろうか。ここに来れば、自分の人生に「確変」が起こるとでも思っていたのだろうか。
ボート漕ぎの少年たちにしたって、わたしがいちから築いた友情関係ではない。幼なじみの功績を、一瞬でもまるで我がもののように思っている自分を感じて、寒気がした。あいかわらず、路地裏を歩くのはつらい。夜は寝苦しい。インド人は、路上で眠る。家がある人も、外のほうが涼しいからか、屋上に布団を出して寝ている。そんな風景を、いつも宿の部屋から眺めていた。わたしは、この町で快適に過ごせない。結局、自分はこの町に、なにひとつ入り込めていないのではないか。そう思った。前回のように、活発に動きまわる元気もなくなっていた。
バラナシの景色は、前回と違っていた。それと同じように、わたしの心境も、前回と同じではなかった。前回は、期待よりも不安が上回っていた。今回は、期待であふれていた。それで、よけいに虚しくなった。おそらくバラナシの人々は、なにも変わっていない。変わったのは、わたしのほうだ。けれども、わたしのなにが変わったのかは、いまだによくわからない。ただひとつ、大きな期待は持たないほうがいい。そういうことを、バラナシの町は教えてくれたような気がする。
結局、気が済むまで滞在しようと思っていたバラナシだったが、7泊で出ることにした。最後は2日続けてスコールに遭い、全身びしょ濡れになった。まだ雨季は完全には終わっていなかった。もう、ここは去ろうと思った。それでも、ガンガーの水量は日に日に減って、もうあと何日かすれば、ガート沿いを歩けるだろうほどに、水位は下がっていた。
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