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弘法大師の足跡

 広川町上津木の落合区には「おだいっさん」という伝統的な行事がある。
今年も4月21日に、無住の極楽寺の境内で、ささやかに執り行われたが、コロナ禍で中止となって以来5年ぶりだった。

 行事の内容は、兼務の法蔵寺住職によるお勤めと厄払い、そしてお餅撒きだ。今年が厄年にあたる者がそれぞれお供え物を持ち寄り、区の役員らが準備した餅や菓子を撒いた。 

5年前に比べ随分と参加者が減った(2024年4月)

 今年は弘法大師が生まれて1250年目に当たり、特別展やマスコミで取り上げられている。西暦774年に生まれているので「名無しで生まれた弘法大師」と覚えよう。実際には真魚(まお)というかわいい名前を頂いている。

 彼の偉業は筆舌に尽くしがたいので触れないが、なぜこの地に大師堂があり、少なくとも私が子供のころから70年は、区の行事として欠かさずに残されて来たのか。戦前はどうだったのか、いつから始まったのか。また、津木地区の他の区にはなく、なぜ落合区だけなのか。真実を知りたいことばかりだ。

 有田地方で大師の足跡を辿ると、私が見聞したのは湯浅町吉川の方津戸峠の「弘法井戸」と、宮原町の沓掛糸我線に残る「弘法の爪書き地蔵」だけで、いずれも熊野古道上にある。(もちろん、私が知らないだけかもしれないが) 


法津戸峠の弘法井戸(2021年1月)
爪書き地蔵(2009年5月)

 推測できることは、全国に足跡を残している空海が1200年以上前にこの地をも訪れて、何らかの所作を行い、当時の住人とコミュニケーションしたということだろう。その証拠に、落合区から寺杣区に入る曲がり道を「弘法の曲がり途」と呼び、その少し先の坂道を「弘法坂」と今も呼んでいることだ。

まがさん


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