「狂俳(きょうはい)」とわが祖先の地
先日、夏井いつきさんの「NHK『いつきのよみ旅!』in愛知」を視ていた。いつものように視聴者が一句を携え出演するのだが、その一人に「狂俳」をさられてみえる方がみえた。紅紫あやめさんとおっしゃるかただった。「狂俳」という言葉は確かに耳慣れない言葉だが、以前、目にしたことがあった。
2022年の5月、愛知県小牧市の河内屋新田を訪ねたときのことだ。この河内屋新田は、実は我が船橋家の発祥の地なのである。立派な、「船橋家祖先之碑」の石碑(上と下の写真)も建っている。そしてその脇に、またずらりと石碑が並んでいた。それらは近代になてからの狂俳の師匠筋の方々(だと推察するが)を記念するための石碑らしいのだ。(ずっと下の写真)
ところで、狂俳ってなに?という質問があるとおもいますが、
東海樗流会さま(リンクはこちら)のご説明では:
とのこと。
これらの石碑は大正期のものらしいが、このあたりで愛好者が多かったのであろうか?狂俳の師匠筋の方たちの石碑のようだ。
現地で、「狂俳」を知ったときは正直、(ふう~ん、そんなのもあるんだ)ぐらいにしか思わなかったが、下手の横好きで短歌を詠む私には、ちょっと縁を感じたものだ。これを機に、チョッといじってみようかなと思う今日この頃だ。
「船橋家祖先之碑」の石碑は、愛知県小牧市の河内屋新田のかわちや児童遊園内にあり。
短歌:
「家祖の碑の脇に建ちをり今に伝ふ十まり二文字の短き世界」/船橋拡光