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首里城 その城壁


五百年いほとせの世世を経てきし首里城スイグシクかなしみ湛へるくろき岩肌/船橋 拡光


首里城(しゅりじょう・スイグシク)は国の史跡そして世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)であり、沖縄の観光名所の筆頭にあげられる雄大な城跡である。首里城の歴史は14世紀末ごろ三山を統一し琉球王朝を立てた第一尚王統の第二代王 尚 巴志しょうはし王による創建に始まり、明治12年の廃城に至るまでの五百余年にわたる琉球王家の王城として、かつて海外貿易の拠点だった那覇港を見下ろす丘陵地にその威を誇ってきた。

城というとどうしても中心となる建造物の天守閣や正殿が華やかで目を引くが、私の興味の重心はむしろ、城壁や門、櫓など城郭を構成する周辺要素へと傾く。首里城の城壁を目の前に立つと、日本本土の城にはない(私が知らないだけかもしれないが)特有の曲線美に心が惹かれる。城壁がうねっているのである。大陸の城郭を模したものだろうか、韓国ソウル市の景福宮キョンブッグン漢城ハンソン(現ソウル)を囲んだ城壁にも似た特徴がある。また、城壁と城壁の合わさる角の頂点にはピンと天に向かって突き出ている「隅頭石すみがしらいし」が設けられている。ただこの構造は沖縄にある数多のグスクのなかでも少数派らしく、首里城と中グスク城ぐらいいにしか見られないようだ。

首里城は創建以来五度の焼失を経験しているためか、城壁は黒くくすんでいる。数多の兵禍を経験した城の悲しみを物語っているようである。特に1945(昭和20)年の沖縄戦中におきた首里城史上四度目の焼失では、陸軍が首里城の下に地下壕を掘り第三十二軍総司令部を置いたため、5月25日から三日間、米軍の集中的な艦砲射撃を浴び、首里城は全焼・壊滅している。

壊滅した首里城はその後紆余曲折をたどり、多くの沖縄の人々の願いもあって、1992(平成4)年11月2日には正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され、首里城公園(国営沖縄記念公園)として復興した。しかし、2019(令和元)年10月31日未明に火災が発生、正殿と北殿、南殿がまたもや全焼してしまう。五度目の被災である。


淑順門より向かって左側の城壁
久慶門より右側を望む


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