大きな何かに生かされている
太古の昔から私達は大きな力により生かされ、導かれています。自分の身に起こる事は仏の導きによるものです。全てが魂向上の為に必然的に起こされている事であり、魂の訓練と捉えて逃げずに正面から取り組みましょう。
親鸞聖人
平安時代の終わり頃、平清盛が宮中を掌握していました。敵対する武家の源氏の血統であった事で幼いころより仏門に入り、後に浄土真宗の開祖になった親鸞聖人はその生涯で流刑を経験するなど多くの辛い思いをしました。
でも凹んだり自暴自棄になったりしませんでした。どれほどの逆境にあっても、むしろ力が無限に湧き出るかのように真剣に阿弥陀仏の救いを求め続けました。それだけメンタルが強かったという事ですが宗教の不思議なところでもあります。
こういう宗教的発想はストレスの多い現代に生きる私達に取っても大いに役立ちます。『自己責任』を背負い自力で問題解決の道を探る事だけが強さではありません。他力を求める事もまた強さを生みます。極端な話、『今日頑張れば明日はよくなる。明後日はもっと良くなる』と考えるより『たとえ今夜地球が滅亡しても浄土に行けるからOK!』位にかまえていた方が気分的に楽かもしれません。
それは決して厭世的になるという事ではありません。浄土が約束されていると思えば現生の些細なトラブルに一喜一憂せずに済みます。あるいは失敗を恐れずに果敢なチャレンジができます。つまりはメンタルの下支えになります。シンプルなやり方を示し、人々の不安を減らし、一緒に歩いて行く。これは是非学びたい柔らかなリーダーシップです。
『俺が、俺が~』『私が、私が~』と気張らず心にスペースを設け『宇宙』や『神』といった大きな力に『生かされている』『導かれている』と考えて、身体を任せてみると気持ちはずっと楽になります。
お釈迦さんの教え
困難や逆境は神によって与えられた成長の為のトレーニングととらえて、決して思考停止にならず、逆らわずに川の流れのように自然の流れに身を任せて生きればいい。そうすればいつか流れに逆らう岩もなくなり、大河のように穏やかな人生が送れます。
大事なことは状況が如何にあっても逆境に正面から向き合い、潜在意識に喜びや希望等のプラス感情を注入して決して思考停止にならない事です。
そうする事で私達が本来持っている勝ち組遺伝子が活性化します。『どうしてこんな事になってしまった』という過去への後悔や『これからどうなってしまうのだろう?』等未来についての心配、これらの悩みはエネルギーの無駄です。『今』の水の流れや風向きを考慮に入れて、『今』どうするかを集中して考える事が大事です。
逆境に見舞われた時は、このように神の意志に従い、自然の流れに身を任せてしまいましょう。もう全てを天に任せてしまうくらいの気持ちになって、その一方で思考停止にはならずに心を正し、物事を楽観的、建設的に考えるようにしましょう。
こういう時こそ魂の成長を目指して人に愛と善意と喜びを与え続けるように心がけましょう。そのように導かれていると思います。
進化の過程で
人類が猿の仲間から分かれて2本足で歩き始めると大脳が大きくなって急激に進化したと言われています。狩猟は一見攻撃的な行動と捉われますがその時代の人類にとっては『待ち』でした。例えば落とし穴を掘って動物の群れが来るのをひたすら待っていました。しかしその群れがいつ来るのか分かりません。分からないから見張りを付けて待ちました。
そんな時代が何百万年も続きました。こうして願うとか希望を持つといった目的意識が狩猟の中に形作られていきました。この脳の構造が私達に引き継がれています。私達は希望を持って待つことを快適と感じます。これは人間の脳が狩猟によって発達してきたからです。希望や目標がある時は体のリズムまで調子よくなります。
獲物はいつやってくるか分かりません。希望を持って待つというのは予測不可能な事を待つ事でもあります。つまり希望を持てる人というのは不確定要素の中で生きられると言い換えてもいいでしょう。ところが現代人はそれを不得意としており、何でもいいから確実なものが待っていないと生きていけない人がほとんどでしょう。
これは本来の希望や願いとは違います。希望や願いというのは本当に不確実なものを待つ事です。人間はそんな環境の中で生きる能力を持っていたのですが、どうも今の人間は現代の教育によってその能力を潰されているような気がします。
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