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フィリピンのマニラにて置き引き被害に会った

『TV中継車納品の一年後』 1999年3月

TV中継車の納品一年後、保証期限切れの前に不具合な部位がないか確認にマニラに出張した。同行した関係エンジニアがTV局で確認している間、次の訪問先ドバイでの仕事の段取りをしていた。ホテルのロビーでソファーに腰掛けてアタッシュケースからノートと読みかけの本を取出した。そしてお酒を注文して、読書しながら二人が帰ってくるのを待っていた。

その時、美しいドレスを着た年配の女性がタガログ語で私に話しかけてきた。意味が分からないので、ノーのサインをした。すると彼女は元来た方に下がっていた。次にもう一度同じ事をされたので、またノーのサインを送った。すると今回は入り口の方向に去って行った。そこで『なんか変や』と思い自分のアッタシュケースを見ると、それは消えていた。

『やられたー』と思い、ホテルの人に伝えた。置き引きの被害に会ったみたいだ。女性には仲間がいたようだ。一連の成り行きはホテルの監視カメラに記録されていた。そのアタッシュケースには現金・航空券・パスポート・パソコンなど商用に大切なものが入っていた。航空券が無いので、もう次の目的地ドバイにも行けない。

ホテルの好意で、その日の夜は無料で宿泊させてくれた。円の現金とクレジットカードはズボンのポケットの財布に入れていたのは不幸中の幸いであった。事件にあった夜、なかなか眠れず部屋の天井を見ながら考えていた。次の日の朝一番に警察に届け出た。代理店の部長が協力してくれて、至急帰国の手配を始めた。この経緯は別途『フィリピンでパスポートの盗難にあっても次の日に帰国する方法』に書き記す。

被害にあう前に鞄から取り出して読もうとしていた本、石原慎太郎著『法華経を生きる』の読もうとしていた次のページに書いてあったのは多分偶然だろうが、『この世で自分の所有物と思っているのは全て錯覚である』と記されていた。その通りだと思った。

現に私の貴重品は盗まれた瞬間から全て盗んだ人のものだ。『死ぬ時には今まで疑いなく自分のものだと思ってきたもの、地位も名誉も財産も何一つあの世には持っていけない。持っていけるものは自分の心だけである』ほとんどの人間は価値観をお金に置いている為、これに気付いていない。人生の目的は心の修養で魂を磨く事だ。

旅行中に自分の大切なものを盗まれたというこの逆境は未熟な自分を鍛えるために神が下さった啓示だったのではないか。あの時は理解していなかったが、余りにも出来すぎた話だ。日本に帰国して後、折角の神の啓示を忘れてしまって拝金主義を続けたのは自分が若く、経験不足であったからだろう。

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