![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47018379/rectangle_large_type_2_bdb1826af0b46caa5e81dac7a0fd26a4.png?width=1200)
パキスタンと中国の国境クンジュラーブ峠に行ってきました。
2017年11月6日夜にドバイを発って2時間ほどで、パキスタンの首都イスラマバードに到着しました。今回同行してくれる取引先のM社長が空港に迎えにきてくれました。宿泊所で仮眠をしてから空港に引き返し、ギルギット行きの便にチェックインしました。しかし霧が濃く、残念ながら同日の便はキャンセルになってしまいました。
次に空席のある便は1週間後という事で、乗客全員で大騒ぎになりました。そこで英国から来たというドイツ人の若者と知り合い、『18時間はかかるが陸路で行くか』という事になって荷物を返してもらいM氏の事務所に戻りました。今回の旅行はM氏の招待で旅費は彼が持ってくれました。
昼食を済ませてから、チャーターした自動車に3人で乗り込み陸路カラコルム高速道路を北進してギルギットに向かいました。途中ビンラーデンが米軍に襲撃されたアボッダバッドで休憩し、暗くなってきたで道端にあった名前だけのヒルトンホテルに宿泊しました。このカラコルム高速道路は中国が一帯一路政策により整備していて、イスラマバードからウイグル自治区のカシュガルまで続いています。
早く目的地に着きたかったので、早朝に出発すると途中で通行止めに会いました。どの車も皆、下車して、少し歩くとそこには茶店があって、水洗トイレも完備していました。水洗と言っても渓流の上に掘っ立て小屋を置いただけのもので、下を覗くときれいな水に流されていくのが見えました。
この谷はU字型の渓谷で斜面が垂直に切り立っており、上方にある大きな岩が空気の冷える夜中に落下して道を塞ぎます。安全の為に夜は通行止めにして、道路に転がっている岩を、朝方に重機で谷底に落としているとの事でした。トンネル部分だけは安全ですがこの高速道路は本当に完成するのか疑問を持ちました。
ギルギットでここまで一緒に来たドイツ人と別れました。彼はホテルに一泊してここからフンザまで一人オートバイで行くそうです。私達は別の自動車をチャーターしてグルミットまで行きました。ここは標高2000mあるので、体を慣らす目的もあり、ここのチベットホテルで一泊しました。気温は氷点下でしたが、暖房が効いておらず大きな布団を何枚も重ねて震えながら寝ました。
ここから先にはいくつも関所があって、北部辺境地区の通行証を初めの関所で発行されました。そこには、石や植物を採取してはいけないとか、アフガニスタン国境から20KM以内に入ってはいけないとか注意書きがしてあり、各ゲートで通行票にスタンプを押してくれました。この辺りはアフガニスタンがワクハン回廊を通じて中国と国境を接している地域です。
次の日の朝5時起きでホテルを出発し、クンジュラーブ峠の頂上には8時前に到着しました。ここは富士山より高く、標高4600mで気温はマイナス16度でした。上空を見るといつもお世話になっているエミレーツ航空がすぐそこを飛んでいました。機体のEmiratesの文字がはっきり見えます。
頂上は大変広い平らな土地で、中国との国境の建物がありました。ここは印度と中国が接する所です。その昔、唐の三蔵法師やモンゴルのチンギスハーンの軍隊またウズベキスタンのチムールハーンの軍隊も通った歴史的な峠らしいです。4600mといってもこの辺りでは一番低い土地で、少し東に行くとエベレストの次に高いK2等の8000m級の山々が連なっています。
ここには、世界で一番高所にあるという銀行のATMが置いてありました。中国の大型トラックやトレーラーが頻繁に坂道を行き来しており、多分通行の実験をしているのだろうと見ていました。岩の間で運転手が坐って小用を足していたのが印象的でした。
一時間ほど頂上にいて、帰路に就きました。帰りはフンザで一泊して、例のドイツ人と再会しました。帰路は飛行機が飛んでいたのでイスラマバードまで一時間でした。そこで少し仕事をして、パキスタン空軍の広告番組等と見せてもらい、次の日にカラチで仕事をしました。
印度が英国の植民地になる以前にはフンザは独立した藩国で、中国とも交流があったそうです。立派な城ときれいな庭そして、フンザの湧き水はミネラルを多く含み、フランスのエビアン、富士山の湧き水と並んで、世界の3名水という事です。美しい風景と美味しい食事、M氏の親切さに感謝します。