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お爺さんの昔話

まだ幼稚園生の頃、3世代同居の家でしたので、お爺さんとお婆さんの間に寝ていました。随分かわいがってもらった記憶があります。お爺さんは明治25年生まれで若い時は兵役に行ったそうです。背が高い人で、伏見の砲兵隊に所属して度々滋賀県の饗庭野にある射撃場に砲術の訓練に行っていたそうです。

特に印象に残っている話の一つに、ある時饗庭野から伏見の連隊に帰る途中に軍服を着て乗馬で帰り道にある京都修学院の自宅に立ち寄ったそうです。そのカッコいい姿を見物しに村中の人達が大勢、家に来たそうです。かなり自信があったらしく、生涯で一番晴れやかな事だったと言ってました。そしてその時の写真も見せてもらいました。戦争が終わってから生まれた私には新鮮な話でした。

これは今から100年以上前の話ですが、もしこの内容を私が自分の孫に伝え聞かせた場合は100年以上前のご先祖の出来事を生の話として伝える事になります。100年前の自分の先祖がどんな暮らしをしていたのか、どんな思いで生きていたのか、まさにご先祖の生きた話を聴く事ができるのです。これが、歴史を紡いでいく事になります。

砲兵隊の頃のお爺ちゃん

お爺さんやお婆さんが居てくれたからこそ自分はこうして生きているんだ。そのお爺さんもまたお父さんとお母さんがいたから生まれてきたんだ。そういう事を実感として受け止める事ができます。『お前たちが今ここにいるのは奇跡の様な素晴らしい事なんだ』と教えてあげたい。

幼い時にこうした事を教えられた子供は大人になっても命を粗末にしません。すなわち他人に対して温かく優しい気持ちになれます。そうして思いやりある大人になれば、きっと社会で役に立つ存在になります。社会から望まれる人間に育っていきます。

三世代同居したくても、なかなか状況が許さないと言うケースはたくさんあります。しかし、同居する方策を真剣に練ってみてはどうでしょう。可能性を探ってみる事です。べったりと一緒に暮らさなくても、常に体温を感じる事ができるような状況を作ればいいでしょう。それが子供たちにとっても、祖父母にとっても、また自分たちにとっても必ずプラスに働いていきます。

今の日本では多くの場合、大人になれば親から独立して家を出ていきます。都会で仕事をしながら結婚し、小さなアパートで二人だけで子供を育てていく。実はそんな社会的モデルはもう崩壊しているような気がします。昔の形の同じ家に住む3世代同居に戻るというのではなく、新しい3世代同居の形を創り上げていくような、そういう時代になってきたと思います。

『親は子に生きて行く為の知識を与える。そして祖父母は孫に生きていく為の知恵を授けていく。糸を紡ぐように家族の歴史を伝えていく事です』

仏壇と合掌

私が子供の頃には、こういう家庭が多かったように思います。仏間には朝夕に家族が集まってくる。お線香をあげる為に、お水を取り替える為に誰かが足を運んでいました。夫婦喧嘩をしていても、親子でいさかいを起こしていても、仏壇の前では休戦状態になる。

喧嘩はちょっと置いて、とにかく仏壇に向かって手を合わせる。それだけの事で、互いの心が少し和らいだものです。これこそがご先祖様の力です。

どんな小さなものでもいいからやはり、家の中には仏壇が有った方がいい。朝夕、仏壇に向かって手を合わせる。そんな両親の姿を見て育った子供はきっと心穏やかに育つと思います。宗教心を植え付けるということではありません。神棚でも亡くなったお爺さんの写真でもいい。写真の横にお線香を立てる場所を作ればそれで立派な仏壇です。

朝出かける時に『今日も無事でありますように、頑張ってきます』と手を合わせる。家に帰れば『ただ今帰りました。今日も一日ありがとうございました』と手を合わせる。わずか2-3秒くらいの事ですが、心がすがすがしくなります。

合唱には仏教的な意味があります。合わせた時の左手は自分自身。そして右手は自分以外の相手だとされています。仏様であったりご先祖様であったり、あるいは今自分が関わっている他人であったりします。

以前、大阪のマンションで暮らしていた時は手作りの仏壇で朝夕実行していましたが、京都の実家に帰ってからはやっていなかった事に気付きました。今は本当の仏壇で般若心経を唱える事で気分がよくなることを実感しています。

比叡山
お爺ちゃん

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