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8年掛かりでウクライナステートTVプロジェクトを納入した

 『8年掛かりでウクライナステートTVプロジェクトを納入した』

2000年7月7日の日誌より、
【今日キエフの日本大使館を元勤務先メーカーの営業所長と一緒に訪問、エリート官僚の仕事ぶりに対して不満足な気持ちを持った。

ステートTV向けのプロジェクトの現状を説明した。『今の状況を打ち破る為に是非大使館から副首相に電話を入れて頂き、私たちと副首相の打ち合わせの機会を設定して頂きたい』旨申し入れた。最初に対応頂いた三等書記官の方はそれなりに話を聞いて頂いた。『しかし相手が副首相なら自分でなく大使による申し入れになるだろう』との事であった。

次に面談したのが一等書記官で歳の頃は30代後半と見えた。いかにも学校では勉強ができましたという印象で、『そのような民間の内容は本省の指示がない限り大使館で実行する権限は無いし、今までどのような商社からの依頼も全て断っている。大体この国の政府にはお金が無く、国際協力銀行の融資についても今年中に結論は出ないと聞いている。そんな中でプロジェクトを進める事自体が無謀で話にならない。騙されないうちにやめたほうが良い』

『このプロジェクトの分はお金があると聞いています。もちろん騙されないように細心の注意を払って推進するつもりです。当方から大使館に依頼しているのは会議の設定だけです。話には加わってもらわなくて結構です』と答えた。すると私の名刺を見て『システムコンサルタント?ああ、技術の内容のですか。どこの地域を中心に商売をされているのですか?』と質問され、かなりの上から目線を感じた。

しかし今後このプロジェクトを続けていく上で大使館との関係は大事であり、これ以上の発言は止めて帰ってきたが、テリー伊藤氏が著書の中で言っていることを垣間見たような気がした一日であった。】

25州あるウクライナ州都のステートTV局の機器を更新するプロジェクトがあり、これに取り組まないかと当社のモスクワ代理店から話があった。聞けば全局とも旧ソ連時代に購入した旧式の機器ばかりで、放送が止まる寸前のようだった。1998年後半から数回キエフの局を中心に対策会議に参加した。

翌年の春入札があって当社が一番札であった。正式な契約調印式があり、その様子はTVのニュースでも大きく報道された。日本の国際協力銀行がファイナンスする予定であったが、欧州の銀行団に対するそれまでの債務返済が予定通り実行されていない事で宙に浮いたようになっていた。

その時の大使館訪問であったので、後から考えると彼らの対応はもっともとも思える。結局、パリスクラブ(欧州債権国会議)で追加融資不可との結論が出され、日本の国際協力銀行もその決定に従う事になり、このプロジェクトは死んだと思っていた。

しかしあの時は自分の無力さと役人の無気力さを感じ、自己嫌悪に落ちた。後で聞いた話であるが、当時のウクライナ政府の人事は不安定で閣僚が度々変わり、人脈を作るのが難しい。それを発言できないためにそういう言い方になったのではないかという事を聞いた。それにしても物には言い方があるのではないかと思った。

それから5年程経ったある日、モスクワから『あのプロジェクトが復活しそうだ』との連絡を受けキエフに出張した。『このままでは放送がとまってしまう。政府にある現金で支払うのであのプロジェクトを進めてほしい』とのことであった。しかし経済破綻した国からのLCでは日本の銀行は買い取ってくれないので、『工事費を含む全額を前金で頂けば、対応します』と答えた。

全額前金を頂いても課題はいくつかあった。
1) 契約から5年も経っているので、殆どの商品は新製品に変わっている。
2) メーカーの販売組織変更で、ウクライナ向けは中近東部門では扱えないことになった。
3) TV局側の都合として、政府のお金を当社のような海外の小さな会社に全額前金で支払うのは簡単ではない。

各対応策は平行して実施した。
1) 機能を考えて商品を現行のものに作り替えた変更契約書を作り、調印した。
2) モスクワのメーカー販売会社からの抵抗と妨害はあったが、一番札の当社以外の納入は再入札。とのウクライナ政府の対応で、今回はそのメーカーの商品はモスクワ営業所から購入して、当社のドバイ支店で他社メーカー品と同梱して出荷することになった。
3)約一年かけて副首相をはじめ政府内の様々な関係部門に対して根回しを行い、交流を深めた。毎月日本の民芸品などを持って出張し、小さなパーティーを開催した。

1局あたり約70万ドルであったので合計受注金額は約20億円になった。政府が破綻している為、前金が来た分だけ商品手配し、施工技術者の出張者も出した。送金は何回にもわかれ、リーマンショックが始まるまで続いた。メンテナンスと商品の国内陸送の為システックウクライナを大統領府前に設立した。その後会社は名前を変えて今も番組制作会社として運営されている。

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