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精進

力士の昇進インタビューでは『上を目指して更に精進致します』という言葉を聞く事が多い。精進するという事は真面目に一生懸命に努めるという事です。結果としてその分野で技術が向上するなどの報酬が得られるだけでなく、人間性が向上して心が美しくなる等の効果が得られます。

野球の大谷選手は食事会の後で飲みに行こうと誘われても行かないそうです。ストイックに自分をコントロールされているそうです。

修行中の禅宗の雲水は食事の用意からお堂の掃除や庭掃除に至るまで生活に関するあらゆる作業をこなします。それらの作業はそれぞれが修行であるとして、禅宗では重きを置いているそうです。

仕事を雑にするから雑用になると言います。一心不乱に作業をする。真面目に一生懸命作業に打ち込む事が禅定、つまり座禅を組んで精神統一を図り、精神を高揚させていく事と同じだという考えに基づいているからです。

真面目に一生懸命にというのはあらゆることに打ち込んで必死に努力するという事であり、そのような努力が人間を立派にするという事で、お釈迦様は修行の一番目に『精進』を挙げています。

仕事に打ち込みながら3年が経ち5年が経ち、10年が経って行きます。そうするうちに徐々に物事の本質が究められるようになっていきます。禅宗のお坊さんが座禅をして悟りを開くのと同じ事です。

つまり『一つの事に打ち込む事』が修行その物です。年がら年中、朝から晩まで達磨さんみたいに座禅を組んでいれば悟りが開けるというものではありません。

ある時TVの対談で宮大工の方と大学教授が話しておられました。小学校を出てからずっと宮大工として勤めてこられたそうで、その方が大学の哲学の教授と対談しておられたのです。彼は大学教授がタジタジになる位に素晴らしい話をされていました。

今でも多くの小学校の校庭に銅像が立っている江戸時代の農民、二宮尊徳は朝には朝星、夕には夕星を見るまで耕作地の開墾という農作業に打ち込みました。ある時その実績を認められて将軍にお城に呼ばれました。ところが彼の立ち居振る舞いから話の内容に至るまで周りの人達が驚く程立派なものであったそうです。

『一芸に秀でる』という言葉があります。一芸に秀でた人、つまり物事の本質を極めた人は万般あらゆるものに通じるようになるそうです。作業を雑用と思い、真面目にこなさなかった事を大いに反省する次第です。

就職

就職する会社を選ぶ時には自分が好きで多少の専門的知識がある分野から選びます。多くの安定した生活を求める人は自宅から近い事や大きな会社を選びます。私が就活していた頃はマスコミや銀行、役所等に人気がありました。

マスコミと銀行では求められる才能が全く違います。マスコミと公務員では幸福の感じ方が全く異なる場合もあります。つまり青年たちに個性が無くなったと言えるかも知れません。自分の好きなモノや嫌いなモノの判別がつかない、理想とする人生が大学を出る歳になっても分からない。

僕の場合はパイロット志望で、日本航空を受験しましたが耳の機能不全の為に不合格となりました。工学部であった為に当時は一般的には電力会社に人気がありました。しかし東京電力が原子力発電の事故でこれから先、膨大な額の保証をしなければならない事となり、今は人気が落ちました。

実はパイロットになりたかつた

人の一生は最後まで分かりません。同級生で成績も就職も、その先の社会的評判も出世競争でもトップを走っていたように思われる人が体調を崩して50歳前後で亡くなったり、再起不能の病気に罹ったりすることもあります。

あるいは才色兼備のいい妻をもらったように見えた人が、その妻がまだ60歳になる前から知的能力が衰えて長い老後をずっと妻の世話をして暮らさねばならないようなケースもあります。

私は40歳の時に会社を創業して仕事の内容が比較的時流に乗っていた事もあり、その後は社長と呼ばれてきました。それにより仕事の上では自己実現ができたと思います。ところが70歳を過ぎた今、仕事の実務力は使い物にならず家事をするにも経験不足で失敗ばかり。その結果、世間から自分が不当に扱われているのではないかと感じる事があります。

このような気持ちになるのは自分の精進不足による現象です。スーパーのレジでレジ袋にお金を払わないと怒鳴っている爺さんと変わりがありません。

結論は簡単には出ません。評価も簡単にはつきません。人は自分の目の暗さを知って謙虚になるべきだという事がひしひしと感じられます。人はどのようにして自分の人生を決めようとしているのか。現代は個人が選択の自由を得ている時代だと見られていますが、実は個人の自由を評価していないし、行使もしていないのではないでしょうか。

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