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アラビアンナイトは、かつて世界の中心で貿易の拠点だったアラブの栄光のお話です。

イスラム商人の大交易時代の中心は『ダウ』と呼ばれる帆船による印度洋航路が隆盛だった。『アラビアンナイト』を代表とする物語のひとつが『船乗りシンドバッドの冒険』です。

アラビアンナイト(千夜一夜物語)は妃の不貞を知って女性不信に陥り、毎日新しい妻を迎えては翌日に殺していた王を中心に話が展開される。大臣の娘シュヘラザートが1001日の間、毎晩違う面白い話をして命をつなぎ、ついに王の悪癖を治すという筋書きで多くの物語が集められている。

日本の平安時代、アラビアではハルーン・アラシードの時代、商人として印度洋に船出したシンドバッド(シンド地方の旅人)は印度洋、ベンガル湾、セイロン島等へ7回の冒険航海を行い莫大な富を得た。  *シンド地方とは今はパキスタンのカラチがある辺り

『ダウ』は今のヨットと同じ、逆風でもジグザグに前進できる三角帆を備えた船であった。シンドバットに象徴されるようなイスラム商人はこれに乗り、アフリカ東岸から中国沿岸にいたる大海域に航路を開いた。東アフリカからはザンジバル島などを拠点として『ザンジ』と呼ばれる黒人奴隷が大量に運ばれ、インドからは米、綿花、砂糖、香辛料等が今のイラクやシリア地方にもたらされた。

ダウによるイスラム商人の貿易で、インド、スリランカ、東南アジアの港にイスラム商人の居留地とネットワークが広がった。更に15世紀になると東南アジアの交易センターとして、マレー半島のマラッカ王国の国王がイスラム教に改宗した事から、取引先のインドネシアやフィリピンなど島嶼部にイスラム教が広く浸透した。

イタリア人のマルコポーロが元の都大都(現北京)を訪問したのはその頃だ。またモロッコ・タンジール生まれのイブン・バトゥータが陸路でアフリカから、インド、中国まで冒険旅行をした時代でもある。彼の名前は今のドバイで大きなショッピングセンターになっていて、中国から印度、エジプトに至る建築様式がモールの建物で表現されている。

この頃、中国では、アジアからヨーロッパまで拡大したモンゴル帝国が衰退し始めていた。元(モンゴル人の中国での王朝)が中国から北の草原に追い返され、漢民族の明が統治するようになった。三代目の永楽帝の時に提督、鄭和が2,000艘からなる大艦隊を率いて、印度からアフリカまで航海した。一説によると喜望峰を超えてアフリカ西海岸にまで達したとの事。

ヨーロッパ諸国が中世の暗い時代を過ごした後、大航海時代に入る前、すなわち喜望峰を回りインド航路を発見したポルトガルのバスコダガマや大西洋を西に進んでアメリカ大陸を発見したコロンブスが登場する前まで、中国人やイスラム教徒が大いに活躍していた時代の事だ。その頃の日本は鎌倉・室町時代であった。

中国とパキスタンの国境クンジュラブ峠

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