ヒューリスティックス(思考の近道)
私達が日常生活で物事を判断する時には多くの場合直感を使うなどの簡便な方法を取ります。日本語では『目の子算』とも訳されます。これは一つ一つ順を追って理論立てて考えるアルゴリズムに対しています。その上、多くの判断をする場合、私達は自分の考えが正しい基準に立っているものと思い込んでいます。
買い物をする時
消費者として日常商品を買う時は大抵このヒューリスティックスで判断しています。ビジネスでもこれを使って判断している事が多いものです。それにより大抵の仕事は短時間に円滑に事が進みます。
更に論理的思考では絶対出てこない発想や他の人が全く思いつかないようなアイデアが生まれて創造性が発揮される事もあります。これは『思考のけもの道』と言われています。
しかしその一方でヒューリスティックは判断の誤りをもたらす事があります。直感は学校教育や過去の経験に影響される事が多い為、顧客が今現在の本当の姿を見失ったり、市場の現状を見誤った意思決定を行いビジネスに取っては好ましくない方向に進んでしまう事も少なくありません。これは『思考のバイアス』とも言われています。
このバイアスは売り手の保守的な真理に拍車をかけ縮小均衡の悪循環をもたらす事になります。 『うちの店ではこういう商品は売れない』と思い込むのもその一つです。これは売り手側の勝手な思い込みであるケースがあります。『思考の落とし穴』です。
太平洋戦争は日本が悪かった
私が中学生の頃、歴史の授業はいつも明治時代より手前で学年末による時間切れ。一番知りたかった現代の世界情勢については正式には習った事がありません。一方別の科目の多くの先生方も、戦前の日本は軍国主義で近隣の様々な国に迷惑を掛けてきたと教えられました。その頃の中学の先生方は共産主義者の人が多かったのかGHQの指示があったのかもわかりません。
それを信じていた私の同世代の日本人の多くは自分の国は悪いものと信じてきました。ところが今になって米国の機密資料が50年経った事により多くが公になった事や、自分自身がアジアの国の人々と直接話し合う機会が何回かあり、中学で先生に教えてもらった事が必ずしもそうではなかったと分かりました。
私の義理の息子はポーランドで教育を受けており、彼の話を聞いていると愛国心が強く自国の歴史にかなり強い誇りを持っている事がよく分かります。日本の隣国の人達の歴史観をみても学校で習った事が全て正しいと思い込んでいる人たちが多くいます。それらは誰かの意図による洗脳の部分が混ざっており、何かの判断基準とするには危険なもので成功できるチャンスを減らす事があると言われています。
米国の経営哲学者ナポレオンヒル博士によると『学校と教会は成功には役に立たない。固定観念を潜在意識に植え付ける部分が強く、その固定観念によって人々の思考や行動は制限を受けて成功するチャンスを減らす』と言われています。それが正しいかどうかは別として、自分の頭で根本から抽象思考をしなくなるのは人生にとって大きなマイナスだと思います。
計算尺
私がまだ中学生の頃、数学の授業の教材として『計算尺』なるものがありました。これは『そろばん』がデジタル的であるのに対してアナログ的な考えを使って掛け算や割り算を短時間にできるもので当時としては使う内容によってはそれなりに便利なものでした。
大学4年生の夏休みの課題に大型変圧器の設計が出されました。その頃夏休みを使ってバックパックでヨーロッパ旅行に行く計画を立てていたので作業時間が足りなく、それをカバーする為に製図に使うドラフターと計算の為の電卓を買いました。両方ともそれなりに高額であった記憶があります。
当時の思い出として、電卓とは何と便利なものだろうと感動した事と掛け算や割り算の近似値を出すには計算尺はヒューリスティックではあるもののそれなりに十分な働きをするものだと感じました。その後電卓の価格が著しく下がりましたので私より若い世代の人たちにとっては計算尺はその名称も知られていないのではないかとと思います。