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「調子はどう?」は人間と人間の交流のあかし【アラバマわきみち英語】

<今回のフレーズ>
How are you doing?
調子はどうだい?

 中学校で初めて英語を勉強し始めた頃、外国の人は変なことを言うものだなと思ったのを覚えている。
 第一課の自己紹介を教える最初のレッスンは、まあ、まだ納得できた。My name isと名前を名乗ってから、Nice to meet youと締めくくる。「お会いできてうれしいです」なんてちょっと気恥ずかしいけど、外国ではこういうものなのかと、いちおうは受け止めた。
 問題はその次のレッスンだ。主人公のアキは、前回のレッスンで自己紹介したニックに学校で再会する。黒髪のアキは日本人、金髪のニックはアメリカ人といった風采で、どちらも読者と同じ中学一年生だろう。ところが、ニックが開口一番、アキにこんなことを尋ねる。
「Hi. How are you?」
 どう考えてもおかしい。同級生に「元気ですか?」なんて尋ねる中学生にはお目にかかったことがない。夏休み明けに久しぶりに会うとか、あるいはアキが学校をしばらく休んでいたとかだったらまだわかる。「久しぶり! 元気してた?」と聞くことは、まあ、ありうる。でも、ニックとアキは前のページで自己紹介をした次の日みたいな雰囲気だ。この流れで「元気ですか?」などと聞かれたら、アキは自分の顔色がよっぽど悪いのかと不安になってしまうだろう。
 当時のぼくはこの不可解なやりとりをこう解釈した。教科書というものはすべからく杓子定規なものだから、型にはまったお手本的やりとりを掲載しているだけなのだ。こんなやりとりが実際にされているはずはない。あまり真に受けず、先に進んだほうがいい。
 教科書が進むにつれてHow are you?が現れなくなったことも、ぼくの仮説を裏付けていた。過去形や進行形を学ぶと、アキとニックはもっと複雑な出来事を伝え合い始めた。高校ではより高度な文法を駆使して、難しい長文を読み始める。北極の氷の減少や世界経済の行方を論じる英文では、誰も互いが元気かどうか確認し合っていなかった。新聞にも学術書にもHow are you?は見当たらなかった。文学や映画ではときどきHow are you?と言っていたかもしれないが、とくに気に留めてこなかった。中学一年生の教室で出会ったHow are you?を思い出すこともなくなっていた。

 ところがアメリカに来ると、誰もが毎日のようにHi! How are you?と聞いてくるので、驚いた。よりカジュアルに、How are you doing?とかHow's it going?とかWhat's up?とか聞かれることもあるけれど、とにかく相手の様子を知りたがっている点は同じだ。How are you?は教科書の虚構ではなかったのだ。金髪のニックは実在していた!
 それにしても、どうしてアメリカ人は相手の様子を知りたがるのだろう。二十年前に感じたあの不可解さが蘇ってきて、友人のジェシーに訊いてみた。
「どうしてアメリカ人は四六時中How are you doing?って訊いてくるわけ?」
「そう言うことになってるから言ってるだけで、たいした意味はないよ」
「元気かどうか知りたいわけではない?」
「礼儀として言ってるだけだね」
「じゃあなんて答えればいいの?」
「たていは具合が悪くたってGood!と答えるよ」
「それなら聞く意味なくない?」
 変な質問をされたジェシーが返答に窮していると、そばで聞いていたダイレンが助け舟を出した。
「むしろ日本人は聞かないの? それって冷たくない?」
 ダイレンの母語のスペイン語でも、英語とまったく同じように¿Cómo estás?と相手の調子を尋ねる。どうやらヨーロッパ言語の多くは英語と同じような挨拶を持っているようだ。
「日本語でHow are you?はなんて言うんだ?」加勢を得たジェシーが今度は逆に攻め込んでくる。
「直訳すれば『お元気ですか?』だけど」と多勢に無勢になったぼくは口ごもる。「でも、そういう挨拶はあんまりしないかな」

 アメリカでは、店に入ると店員が「Hi! How are you doing?」などと話しかけてくる。最初のうちは小声でhiとだけ言ってやり過ごしていたが、周りのアメリカ人たちを観察すると「Good! How about you?」などと溌剌と返している。真似してみたら店員も「I'm doing great!」と返してくれて、最後まで一緒にやり切った感じがして気持ちがいい。郷に入りては郷に従えというし、アメリカ流で過ごすようになった。
 井上逸兵は『英語の思考法』(ちくま新書)で、英米や欧米の多くの文化圏では、店員がこうした「ご機嫌伺いの言葉を発するのが普通」であり、客も答えるのが「礼儀」であると述べている。しかし、高度成長期に日本人が海外旅行をし始めた頃、この習慣を知らずに店員の挨拶を無視したため、海外で不評を買ったそうだ。

 たしかに、日本では店員は客に向かって「いらっしゃいませ」と声を発するが、それに対する客側の返答の言葉はない。もちろん、個人商店だったり、馴染みの居酒屋だったり、もっと親密に挨拶を交わす場所もあるだろう。ただ、アメリカのように、初めて入ったコンビニやスーパーマーケットで店員に「こんにちは」と話しかける人は少数だと思う。
 アメリカでは、もちろん建前ではあるのだが、店員と客はあくまで人と人として関わることになっているから、まずは「Hello. How are you doing?」と挨拶をかわして、それから人間同士として会話をする。レストランでウェイターに「このキノコ入りのハンバーガーっておいしい?」と尋ねても、「それは食べたことないからわかんないけど、キノコのピザはこのまえ食べたらおいしかったよ」という個人的な返答が返ってきたりする。

 昨年のクリスマスに印象的な話を聞いた。知人のグレッグが量販店のウォルマートに注文してあった写真を取りに行ったとき、店員の黒人女性にこう尋ねたのだという。(グレッグは白人男性である。)
「ここは写真売り場ですか?」
 彼女はグレッグをじっと見つめたまま、黙っている。
 質問の意味が伝わらなかったのかと思ったグレッグはもう一度尋ねた。
「写真売り場の場所を教えてくれますか?」
 すると彼女は答えた。
「Good morning. How are you?(おはようございます。調子はいかがですか?)」
 グレッグは「なんておかしな返答だろう」と思ったそうだ。たしかに、「写真売り場はどこですか?」という質問の答えにはなっていない。それからグレッグは気がついた。挨拶をしていなかったことに。
 「彼女は俺に、会話は挨拶から始まるべきだと教えてくれていたんだよ」とグレッグはぼくに言った。「彼女はまずもってひとりの人間であり、その人間がたまたまウォルマートの店員として働いているだけなんだ。クリスマス前の慌ただしさにかまけて、俺はそれを忘れてたんだな」
 あらためて、グレッグは彼女に「Good morning. How are you?」と返答し、無事に写真を受け取り、帰路についたという。「Have a good day!」という別れの挨拶を交わして。

 ルイ・アームストロングは名曲「この素晴らしき世界」で、挨拶を交わすひとびとの心を歌っている。歌詞にあるHow do you doはHow are you?の古風な言い方だ。

I see friends shaking hands, saying “How do you do?”
They're really saying “I love you”
ほら、友達同士が「元気かい」って握手をしてる
ほんとうは「愛してるよ」と言っているんだよ

What a Wonderful Worldより


 「元気かい?」という質問を投げ掛け合う人たちに、「どうしてそんなことを訊くのか」と尋ねるのはまったく野暮なことだ。ジェシーが言ったとおり「意味」などないのだろう。「意味」より大事なのは「気持ち」だ。この短い質問のなかには、目の前の人間に対する敬意や、気遣いや、愛を込めることができるのである。


<プラスワン・フレーズ>
Have a good day.
よい一日を。


人と人の出会いがHow are you?で始まるように、別れはHave a good dayで締め括られる。日が傾いてdayが残り短くなると、Have a good rest of your dayと言ったり、夕方へと目線を変えてHave a good eveningと言ったりもする。こうした微調整が面倒なら、すべてと代替可能なoneを使って、Have a good oneと言えばいつでも通用する。手を抜いたぶん、若干カジュアルな印象を与える。


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