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日本×キューバ夫婦のアラバマ子育て物語 第8話 はじまりのうた

この連載は、アラバマ州タスカルーサに住む日本出身の著者とキューバ出身の妻ダイレンが、文化と言語と社会のはざまで右往左往しながら、初めての子どもヤスオ(仮)を育てる物語です。出産予定は2025年4月15日。1話ずつ単独でも読めるように心がけていますが、まとめて読みたい方はこちらのマガジンよりどうぞ。

 クリスマスを過ぎたある日のこと、「日本語の絵本、お腹に向かって読んであげてよ」とダイレンに言われた。

 妊娠24週頃には、胎児の耳が発達してきて、もう音が聞こえるのだという。だから言語の習得は始まっているのだ。日頃、ダイレンはお腹のヤスオにスペイン語で話かけているし、ぼくたち夫婦のあいだではほとんど英語で話しているので、日本語を聞く機会が圧倒的に足りない。それで、絵本を読み聞かせようということになったわけだ。

 しかし、アラバマの我が家には、日本語の絵本が『100万回生きたねこ』しかない。佐野洋子によるこの傑作絵本は、一匹のトラ猫が、生まれては死に、生まれ変わっては死に、を延々と繰り返す話である。まだ産まれてもいないヤスオには早すぎるのではないか。

 とはいっても、ない本は読めない。贅沢は言ってられない。外国に住んでいるのだから、ある本を読むしかないのだ。それに、耳が聞こえると言ったって、話の中身までわかるわけじゃあるまいし、まあ、大丈夫だろう。

 ベッドのヘッドボードに寄りかかって座るダイレンのお腹に向かって、『100万回生きたねこ』を開いて見せながら、読み始めた。

「100万年も しなない ねこが いました。 100万回も しんで 100万回も 生きたのです」

「ねえ、お腹に絵本向けたって、どうせヤスオは見えないじゃん?」とダイレンが言った。「こっちに見せてよ」。たしかにそのとおりなので、そうした。絵はダイレンの顔に向け、声はお腹に語りかける形になった。

「ねこは とんできた やに あたって しんでしまいました」
「ねこは 船から おちてしまいました …… ねこは びしょぬれになって しんでいました」
「手品つかいは まちがえて ほんとうに ねこを まっぷたつに してしまいました」
「ねこは いぬに かみころされてしまいました」
「ねこは 女の子の せなかで おぶいひもが 首に まきついて しんでしまいました」

 やっぱり死にすぎだなと思っていたら、台所でケトルがヒューヒュー鳴り始めた。そういえば、お湯を沸かしていたんだった。絵本を枕に置いて、台所に向かい、お茶をいれ、両手にマグカップを持って戻る。すると、その間にダイレンが続きを朗読していた。猫が初めて愛を見つけてとうとう本当に死ぬクライマックスまで差し掛かっている。

「ねこは しろいねこの となりで しずかに うごかなく なりました。ねこは もう けっして いきかえりませんでした」

 読み終えたダイレンは、「かわいいけど、かなしいはなし」と日本語で言って、泣いた。名作である。何度読んでも感動する。でも、胎教にはいいのか?

* * *

 胎児が言葉を聞いているなんて、どうせ、迷信かスピリチュアルのたぐいじゃないか、と思っていたら、じつは科学的な裏付けがあるらしい。

 『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』で、発達心理学・認知科学者の針生悦子は、「生まれたばかりの赤ちゃんは、母親の胎内で聞いていただろう音を聞こうとすることがわかってきた」と述べている。妊娠最後の数週間に母親が毎日声に出して読んだ物語と、母親が読んだことのない物語では、新生児は胎内で聞いていたほうの物語を聞きたがるという研究や、聞いたことのない外国語よりも母親が話す言語を選んで聞こうとするという研究があるのだという。

 もちろん、聴覚が働き始めるとはいっても、外界の音がクリアに聞こえているわけではないようだ。母体の脂肪や羊水が音を吸収してしまうし、胎内には母親の血流音や心音が鳴り響いているため、はっきりとは聞こえない。ただ、言語のリズムの違いがわかる程度には聞こえているのではないか、と針生は推察している。

 なるほど、リズムはわかるのか。リズムが言語にとって極めて重要なことは、調子の狂った英語を話して苦労しているぼくには、痛いほどよくわかる。じゃあ、胎教は大事だ。3言語に揉まれることになるヤスオにとっては、超大事だ。

 もっとも、上記に引用されている研究はいずれも、胎児の母親がはなす言語に注目しているため、父親や第三者が母体の外から語りかける声がどのくらい胎児に届いているのかは、よくわからない。かりに母親の声しか聞こえないとなると、ヤスオが聞いている言語はダイレンの話すスペイン語と英語の半々ということになる。ぼくのネイティブ北海道弁を聞くのは生まれてからだ。

 そういえば、第2話に出てきたクリスとミケーラのカップルは、生まれたてのカイラニにどんな言葉で話しかけているんだろう。たぶん英語だと思うけど、イタリア語や中国語も試しているのだろうか。クリスは言語習得論の修士号も持っていることだし、こんど会ったときにいろいろ聞いてみよう。複数言語で育つ子どもの研究がきっと世界中でなされているはずだ。

* * *

 こんなことばかり考えていたからだろう、大晦日から元日の朝にかけて奇妙な夢を見た。

 ヤスオはもう生まれていて、新生児らしく産着に包まれて寝かされていた。このまえのクリスマスパーティのときに、クリスとミケーラの家で見たカイラニみたいに小さかった。

 ただ、ヤスオはしゃべった。日本語をけっこう上手にしゃべった。
「おなかすいてる?」
「まあまあ、すいてます」
「うんこ出てる?」
「まだだいじょうぶです」
くらいの会話は余裕で成立した。『100万回生きたねこ』を読み聞かせたかいがあった。ダイレンと同じくらいの日本語力の感じだったから、ヤスオは生まれながらにして日本語検定4級(JLPT N4)程度の実力者ということになる。

 初夢は誰にも言わなければ現実になるという。たしかに日本語がペラペラで生まれてきたらアドバンテージは大きいから、心にしまっておくか3日ほど迷ったけれど、やっぱりここに書いてしまうことにした。だって、まっさらな赤ん坊と触れ合いたい気持ちもあるし、3言語が飛び交う我が家で赤ん坊がどんなふうに言葉を覚えていくのかに言語学的な興味もあるし。首も座っていないのにぺらぺら喋る赤ん坊が薄気味悪かったのも事実だ。

 変な夢を見たせいか、夜明け前に目が覚め、窓の外で明るんでくる東の空を眺めていた。まもなく初日の出だ。キャンパスの建物の向こうに、朝日が登ってくるはずだ。

 と、白い猫が道路を渡っている。「ママネコだ」とぼくはつぶやいた。近くの排水溝に住む野良猫で、しょっちゅう子どもを産んでいる。警戒心が強くて人を近づかせないから誰も保護できていないのだが、この夏に子どもを産んだときには懸命に子育てをする姿がいたたまれなく感じられて、ぼくたちは「ママネコ」と呼んでエサを置くようになった。最近またお腹が大きくなっている。

 南部アラバマとはいえ、正月の朝ともなれば冷え込む。ぼくはダウンジャケットを羽織り、猫のエサを持って外に出たが、ママネコはもう姿を消していた。まもなく子どもを産むだろう。この冬の戸外に産み落とされる新生児は春を迎えられるのだろうか。

 ふりかえると、大学のフットボール・スタジアムの高くそそり立つ観客席が朝日を浴びてオレンジ色に輝いていた。ほどなくして、キャンパスの建物のかげから、2025年の太陽が姿を見せた。

「ヤスオが元気に産まれてきますように、
 ヤスオが元気に産まれてきますように、
 ヤスオが元気に産まれてきますように」

 アパートの部屋に戻ると、ダイレンが起き出してきて、温かいデカフェ・オレを飲みながら、バターとジャムを塗ったパンを食べていた。キューバでは元日の朝日に特別な意味はなく、1月1日はフィデル・カストロやチェ・ゲバラの革命軍が1959年のこの日にバティスタ大統領を追放したことを祝う、解放記念日である。

(追記:その後、ママネコは子猫たちを産んだ。子どもたちは保護することができた。ママネコの生活にいかに介入すべきかは、まだ決めかねている)



第9話 虹色の赤ん坊 へつづく




ミシシッピ州クラークスデールのデルタ・ブルーズ・ミュージアムに飾られていたジュニア・パーカーのレコードジャケット。裏面では黒い背景に白猫が歩いているらしい。

↓こちらのマガジンに全話まとまっています↓



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