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心(精神)という言葉の定義

割引あり

物とは、物理学で言えば、クオークの結合した状態である。明確な定義がある。一方で、物を哲学で定義したらどうなるか。また一方で、心(精神)とはどう定義できるだろう。ここでは心、精神について考える。精神とは、その実態は私たちの知るところであるが、定義となると、古代ギリシャ以来、茫洋としたものではないだろうか。哲学では、物理学のような明快で一意的な定義は難しい。「私たちの心の有り様」では足りない。精神には、もっとトップダウン的な定義が似つかわしいように思える。また、精神という言葉には、汎神論がよく似合う。神は細部に宿る、のと同様に、精神は、私たちが眼を向ける、至る所に在るように思える。
精神。私たちは知っているのだが、その蘊奥を極めるのは、複雑多岐すぎるし、またその本質を語るのはほぼ絶望的であるように思える。精神の本質とは何か、誰が語り得ようか?言葉では追いつかないもの。
一方で、精神と言葉との関係とは何か。言葉無くしては、精神は成り立たないのであろうか。言葉のない精神を考えることができるか。

しかし、私たちの知の及ばないところに、精神はあるのかもしれない。

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