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「強み」と「得意」は違う
私が人と話したり、
誰かのSNS投稿を見たりしてるとき、
その人の中にいる
「ちっちゃい自分」が
泣いているように感じる、
ってことがときどきある。
こんなこと、よく聞くよね。
・私ってこういう性格だから…
・それは私にはとても無理!
・そういうの得意じゃないんだ
こういうとき、特に、
強烈な違和感を感じちゃう。
得意不得意は何で決まるのか?
それは単純に過去の
「成功体験・失敗体験」
による「思い込み」だ。
うまくいくときは、
その人の能力特性に合った
「やり方」ができていたから。
うまくいかなかったときは
その逆、ってだけのこと。
物事がうまくいくのは
好き×特性にあった方法論
という方程式。
だから、好きじゃないけど
たまたまうまく行っちゃって、
それを「得意」と表現することも
当然あるわけだ。
昔、役所勤めの時に
議会の答弁書を作る仕事が
ずば抜けてよくできた私は、
毎回、議会のたびに指名されて
深夜残業で原稿を書き続けてた。
今思えば、それは
「説明能力」や「臨機応変な対応力」
という私の強みが活きてたから。
でも、議会対応そのものは
もっとも嫌いな仕事だったので、
めちゃくちゃ褒められるけど
心はすり減る一方だった(泣)。
その真逆は、子どもの頃に
「作曲」でつまづいて
音楽の道に進む自信をなくして
諦めてしまったこと。
「無から何かを生み出す」
という機能を持たない私には、
作曲の課題は苦痛だったー・・・
でも、アレンジや即興演奏をやると
いくらでもアイデアが出て
楽しく弾いていたので、
先生は「なんで?」と
首を傾げてた。
これも「アレンジ力・応用力」
という強みが活きる分野は
簡単にできてしまうからだった。
そんなわけで、40年越しに
作曲もできるようになった理由は
「オリジナリティにこだわらない」
というスタンスに切り替えたから。
だいたい、12個しかない音を
組み合わせる作業で、
誰も聞いたことがないような
斬新なものなんて、作れっこない!
っていうか、そんなもの作っても
誰も楽しくないわっwww
実際、今も、作曲のペースは
さっぱり上がらないんだけど笑
アレンジの作業となると
楽しくて仕方がないのだ♪
ネイチャー理論を伝えることを
ライフワークにした今、
思うことは「得意かどうか」
ということ自体が、
あんまり意味がないことで、
それよりも、自分の本当の
「強み」に着目したほうがいい、
っていうことだ。
多くの人が「自分に合った方法論」
を知らずに、長い学校教育の中で
「みんなと同じく一律なやり方」
を信じてやってきた結果
「苦手」や「嫌い」や「無理」
という負の思い込みを
膨大に蓄積しているんだと思う。
得意=強み
苦手=弱み
ではない、ってこと。
強みと弱みは一つの「特性」の
表と裏だから、すべての人が
強みも弱みも持っていて、
それはまるで「指紋」のように
一人一人みーんな違ってる。
しかもその特性は、生まれながらに
備わっているものなのだ。
その特性を知って「使い方」を
練習していくと、長年の「苦手」が
単なる思い込みだったことに
簡単に気づいてしまう。
自分で「苦手、無理、できない」
と思い込んでしまうと、
ちゃんと、素晴らしい強みを
持って生まれてきた
自分の「魂」が悲しむよ。
その魂の叫びみたいなのが
「ちっちゃい自分」って
私が表現してるものなのだ。
生まれたまま、ありのままの自分が
「違うよー!そうじゃないよー!」
って言ってる感じがするの。
人生、どう生きようと
100%自由だから、
「苦手、無理、できない」で
生きてても全然OKだし、
チャレンジしてる人が素晴らしい、
ってこともないと思ってる。
でも、本当はやりたいのに
「できない」と思い込んでるなら
そこは、変えてみたらいいよね。
私が「やりたいことはできるよ」
って言ってるのは、
別に「精神論」じゃないのだ。
めっちゃ根拠がある話。
しかも、その話は一切出し惜しみせず
誰にでも公開してる✨
「明日命が終わっても後悔はないな」
そう思える生き方をしたい。
私が思ってるのはそれだけなの。
そして、みんなが
そういう生き方ができたら
いい世の中になるだろうなあ。
これが、私がネイチャー理論を
広め続けてる理由!
「知りたい!」って思ったら
いつでも連絡待ってるよ。