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ひろえっちの本質ノート#8 夢が叶うってこういうこと?

小学校の卒業文集

子どもの頃の私は、実に「子どもらしくない子ども」だった。
私が普及活動をしている「ネイチャー理論」で見ると、それも納得なのだけど、きっと、周囲の友人や先生の中には「なんだコイツ」と思ってた人もいただろうなと思う。
とはいえ、それもまたネイチャー理論でわかることだが、同級生たちもかなりの部分、同じようなタイプの人がいる形になっていたので、本当にラッキーだった。

3月、卒業式のシーズンになると思い出すのが、小学校の卒業文集に書いた作文の内容だ。
お題は定番の「私の将来の夢」。
これは私にとっては本当に悩ましくて、今でも、あの時の困り果てた感じは覚えている。私には「将来○○になりたい」という強い欲求がなかったし、自分の中から湧き上がってくる熱い想いみたいなものは皆無だったので、周りの友達が、なりたいもの、就きたい職業を話せるのが不思議で羨ましくて、そして、自分にはどうしてそういうものがないんだろう?と思っていた。

それでも何か捻り出さないといけないので、考えた結果「今楽しいことの延長線上にあるもの」を、ひとまず、自分の夢ということに設定して、作文を書くことにしたのだった。
当時の私にとっては「音楽」がほぼすべてで、他のことは本当に「どうでもいい」ものばかりだった。
授業中も退屈すると、好きなアーティストの曲の歌詞をノートに書いては眺め、「ああ、なんて美しい言葉なんだろう」と一人、歌の世界に耽溺したり、自分も自作曲をピアノを弾きながら歌っている姿を想像して、ぼんやりしたり・・・。
そんなときに限って、先生に指名されたりしてね。

朝・放課後・土日も、小学校の合唱団の練習に熱心に通い、毎週エレクトーンのレッスンに通う、それ以外のことにはほとんど興味が持てなかったのだ。
今も仲良くしてる小学校の同級生は「ひろえちゃんって、休み時間は一人で本を読んでるような人だったよね」と言われて、ああ、そういえばそうだったかな、と朧げに思い出す程度で、本当に記憶が曖昧だったりする。

そんな私が将来の夢として捻り出したのは「アレンジャー(編曲家)」になることだった。
相当変わってる、っていうか、どうしちゃったの?ってくらいおかしい(笑)。
そんなこと書く小学生、いないだろ、とツッコミたくなる。しかも、持ち前の理屈っぽさで、作曲家でもパフォーマーでもない理由を理路整然と(?)述べているところが笑える。

ちなみにあだ名は「ルンルン」だったwww

そして、ネイチャー理論でわかる人の本質って本当にすごいな、というのも同時に感じるのだ。
それは私がもともと持っている資質には「ゼロから何かを生み出す」という機能が備わっていないので、音楽を勉強していく中で「作曲」という分野は本当に苦手だった。
その代わり、既存の楽曲、本当に断片的なフレーズやモチーフを一つの作品として作り込んでいく作業は本当に夢中になれる最高の遊びになっていた。
通っていたのがヤマハ音楽教室だったので、演奏グレード試験の課題に出てくる「モチーフ即興」は一番得意で、問題集のページをランダムに開いては、いきなり弾く、というゲーム(?)を何時間もやったりしていたのだった。

それなのに「自分で曲を作る」となると、何も出てこなくて、どうにか捻りだして作ってみても、弾いてみたら「何かに似てる」とか「ダサい」と思ってしまい、書いた端から自分でボツにしてしまう。
そんなことを続けているうちに「自分には才能がない」と勝手に思い込むようになってしまったのだ。

40年の熟成期間?

高校の時に進路を決める段階で、音楽の道に進むことを選ばなかったので、その後は「趣味」として音楽を続けていたのだけど、51歳の春に、突然「私、シンガーソングライターになりたかったんだよなあ」というのが湧いてきて、なぜか涙が止まらなくなった。
自分でもびっくりしてしまったんだけど、その思いが間違いのないものだという確信も同時に湧いていて、それならやってみるか、と、そこから、自作曲をピアノの弾き語りで歌うという活動が突然始まった。

あれほど、書けないと思っていたオリジナル曲が、いとも簡単に書けるようになっていて、しかも、書いたメロディは自分でも感動するくらい気に入ってしまう。
もちろん、何かに似てるなということはよくあるけど、そんなこと言い出したら、たった12種類しかない音符の組み合わせで出来上がるものに、何にも似ていないものなどあるわけがない話だから、それも全く気にならない。

今の世の中、本当に便利になったなあと思うのは、オリジナル曲をただライブ録音するだけでなく、自宅のパソコンでカラオケを作ってミックスし、音源ファイルを作れば、ネットで簡単に世界中に発信できてしまうこと。
今の音楽シーンで活躍しているアーティストの中でも、YouTubeからデビューした人は年々増え続けている。
世界中のどこに住んでいても、誰でも、自分の作品をお金をかけずに世に出せるなんて、40年前は誰にも想像すらできなかっただろう。

そこでまた、私の持っている強みである「引き寄せ力」がどんどん働き始めた。
最大の引き寄せは、SNSを通じて知り合って、今は歌を含めて音楽のあらゆることを教えてくれている師匠の尾飛良幸さんだ。

シンガーソングライターであり、作編曲、楽曲制作など、全部一人でこなす「総合音楽家」の彼がいつも言うのは「世の中の人は全員シンガーソングライターになったらいいんですよ」という言葉。
音楽は一部の人の特別なものではなく、誰でも、想いを言葉とメロディにして発信することが普通のことになったらいいな、という考え方は、私もとても共感するし、かつては一部の専門家にしか扱えなかったテクノロジーが、一般の人にも簡単に扱えるようになった今の時代、それはとても現実的なことだと思える。

尾飛さんがオンラインで開催した「GarageBand」の使い方セミナーを受けたことで「これなら私もできる」と思ったのが、思えば「沼」への第一歩だった(笑)。
MacとiPhoneにプリインストールされている無料ソフトのGarageBandは、めちゃくちゃよくできているツール。
しかも、たいていの場合、使い続けているうちに機能に物足りなさを感じて、有料版の本格的なソフトが欲しくなるようにできているところが憎い。
まんまとその罠にハマった私は、いよいよ自分の曲のアレンジ作業を本格的にやり始めることになった。

「できない」の先に「できる」があると知っている

正直、音楽の制作に関して言うと、ツールは安価に手に入ったとしても、知識と技術はそう簡単には手に入らない。
これはやってみてめちゃくちゃ痛感しているところだ。
解説本を何冊も仕入れ、マニュアルと睨めっこしながら一つ一つ作業を覚えていくしかないわけだけど、そこに立ちはだかる専門用語の壁・・・
こんなに「わからないことをわかろうと努力する」ことをしたのは一体いつ以来だろうか、と思いながら、知恵熱が出そうになりながら悪戦苦闘しているうちに、何か、一つ山を越えた感覚が出て、あとはここからなら楽しくできそうだな、と思えるようになったのが、これを書いている今日、というわけだ。

40年前の私は「できないことはいくらやってもできるようにならない」と思っていたのかもしれないな、と思う。
よく、成功者の人が「努力は裏切らない」なんて言うけど、努力したからって成功が保証されているわけではないことは、大人ならみんな知っている。
私はこの「努力」という言葉が好きじゃないので、自分では滅多に使わないんだけど、唯一、使うとしたら「できない」を「できる」に変えるための行動をしているときの表現として。

まだまだ技術的にはヨチヨチだけど、ふと思い返してみると、40年前に「とりあえず」書いていた「将来の夢」が叶っていることに気づいて、なんとも感慨深い気分になる。
結局、好きなことというのは変わらないもので、その「好き」に没頭していると、できないことをできるようにしたいと思うようになり、そこに生まれるのが本当の努力なのかもしれないな、と、今更ながら思うのだ。

これから先は、また、その昔に即興課題をゲームのように楽しんでいた自分のように、ひたすら面白がりながら、40年前の夢の先にある未知のワールドを探検し続けるのだろうな、と思うと、つい、ニヤニヤしてしまう怪しい私なのだった。《完》

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