自伝・回顧録、あるいはそのような物語(1)
自分のことを書き残したい、できれば出版してみんなに知ってもらいたいという気持ちは、イキモノとして社会生活艱難辛苦荒波血路を通ってきたのだから当然の願望です。
どうせなら、自分が満足できるものを書きましょうよ――という、回です。英雄譚または年代記的な大作を考えているという、創作家のみなさんにも有用かと。
出版しなくても残る時代
ホームページ、ブログ、SNSなどなど、今は「さあ、自分の足跡を残そう!」と身構えなくても自然に残ってしまいます。
けれどやっぱり、大系的に書く意義は大きいと思います。
自分の人生を左右した幼少期の影響。波瀾万丈(だと自分では思っている)青年期。周囲との板挟みに苦しんだ壮健時代。
ばらばらに散る木々の葉っぱを見ても樹木の大きさや枝振りは判らないように、やはり全部ひっくるめて振り返る機会はあったほうがいいかもしれませんね。
昔は、自伝や回顧録というとエラい人たちが自費出版で本にして、大々的に出版記念パーティという名の「ほめに来いよ、ゴラァ」宴会をしていたように思います。
今はいろいろ選択肢が増えましたね。もちろん自費出版の道も残っていますし、自分なりにネットで書きためたり、同人出版のようなライトな装幀で印刷したり。中には、質問の空欄を埋めていくと自伝の体裁になるというドリルのようなものや、もの悲しいネーミングですが思い出も書き込める〈エンディングノート〉なんてのもあります。調べていくと、インタヴューを行って自伝にまとめてくれる有料サービスもありました。
「俺語り」って面白い?
しかし、どんな体裁であれ、自伝や回顧録というのは、よほど名の知れた偉人でない限りは、他の人に喜ばれるものではないと思っています。
「昔はなあ」なんて語り出す老人の話って、たいてい自慢か説教か嘆きでしょ?
私の母方の祖父は、石炭で一世代を築き、没落までのジェットコースター人生を経験した人でした。
しかしその祖父が残した手記ですら、「同じことが何度も書いてある」「よく判らない」という理由で誰も読めませんでした。
私が母から伝え聞く祖父のエピソードの中には、面白いものや悲しいものもちゃんとあるのですが、自分自身では伝えきれなかったんですね。
自分が過去を振り返るという目的のためだけならば、それで充分役に立っています。
親族や知り合いに読んで欲しい、できれば自分のことを知らない人にも伝えたい、のであれば、少し「読んでもらう工夫」が必要になってきます。
書く目的を自覚する
なぜそれを書きたいのか。
この根幹があやふやだと、要らない苦労をしてしまったり、せっかくの努力の方向を間違えたりします。
思い出を整理したい場合
ある程度年齢がいくと、昔のことを思い出す機会が多くなります。
子どもの頃を思い出して、その時の両親の気持ちにやっと気付いたりするのも、自分が加齢したからです。青春時代に楽しかったこと、忘れもしない恨み、ほんと、いくらでもエピソードはあるはずです。
思い出すという行為そのもののために自伝や回顧録を書こうとしているのなら、難しいことは何も考えずに、存分に好きに書いてください!
昔の時間にひたるのが幸せ、あれこれ思い出せて嬉しい、そういう「今の自分を喜ばせるため」に、思い付くままに振り返りましょう。
回想に浸るのが目的ですから、書き付けるのは単なる整理だったり、さらなる記憶の深掘りをするためのメモだったりするでしょう。
それでいいです。
思い出す行為が大事なんですから、メモはチラシの裏でもお古のノートでも……。
とはいかない。
いや、ほんとうはそれでいいんですが、せっかくなので、上記の「さらなる記憶の深掘りをする」トリガーとして、さらに楽しんでほしいのです。
一つ思い出すと、芋蔓式にあれこれ出てくるはず。
ただ、その時の場所や、一緒にいた人物、時代、などなど、イモのツルは一本ではなくあちこちに分岐してしまう。
後から見直してさらに「○○ちゃんは他にもこんなエピソードが」「全然時代は別だけどあの場所にはもう一度行って」などと思い出すのであれば、ちょっとは整理整頓して再利用できる形が便利かなあと思います。
まずは、何を使って書くかを考えましょう。
できれば並び替えたり付け足したりできるものがいいですね。
古くで言えば京大カード的なもの。
新しくはパソコン(もしかしたらワープロの人もいるかもしれませんが)。
レポート用紙でもいいですけど、散逸しないようにまとめて保存してくださいね。クリアファイルや書類入れを活用するといいかも。
もちろんリングファイルでもいいです。私の学生時代は26穴バインダーがノートの主流でしたが、今はどうなのかしら。
欲を言えば、時系列に並び替える、人物で並び替える、などをするために、表題や関連タグやそれを管理する目録またはデータベースがあるといいんですが。
それをやり始めると、準備に没頭しちゃっていつまでもはじめられないタイプの人がいるのも私は知っている! 私もそのタイプだ! なので、テキトーにしておきましょう。
あとは、筆の向くまま気の向くまま、何も気にせず自由に書いてください。
一行で済むメモと、ルーズリーフ何枚にも及ぶ詳細な事件と、混在してても平気です。
だって、自分が思い出にひたるのが目的なんですから。
時々、書きためたものを眺め返して、さらに書き加えたり、並べ替えてちょっと時代全体を振り返ったりも楽しそうですね。
たくさんの思い出。
けれどそれは自分の頭の中にしかありません。
生きているうちに存分に思い返し、何度も味わってください。
先に彼岸へ行ってしまった人たちは、あなたが思い返すたびにまざまざと生き返ります。
当時は汲んで上げられなかった気持ちに思いを馳せ、今自分はどう変わったかを噛みしめ、幸せだった子ども時代を次の世代にもと夢見て、どうか楽しく好き勝手にしたためてください。
他の人に見せたい場合
「ほめに来いよ、ゴラァ」宴会はしないまでも、少なくとも他の人に残したい・伝えたい・知っておいてほしいという目的であれば、少々工夫が必要です。
好き勝手に書くと、うちのお爺ちゃんの手記みたいに誰も読んでくれないままどこかにいってしまうからです。
この工夫は小説を書く時と似ていますので、クリエイターの方々も参考にしてください。
みなさんはなんらかの原稿を読むとき、どんなことを期待しますか?
面白い、ためになる、共感できる。
こんな感じじゃないでしょうか。
面白さは登場人物やストーリー展開がよくて、読んでいる間はわくわくしっぱなし、読み終わったら「あー、読んで良かった」と思える感じ。
ためになるのはもっぱら学術書ですが、SFみたいに面白いお話でなおかつためになる知識も身につく、なんてものもありますね。
共感できるというのは、キャラの気持ちがよく判る、気持ちに寄り添える、自分もそうだったと思える、そうなるもんかと反発する、など、その原稿で自分の考え方や心が揺さぶられる様子です。ですから図には注を入れていませんが、上記には反発も含めました。
じゃあ、面白くもなくためにもならず共感もできない原稿だったら。
読みませんよ、そんなもの。せいぜい3ページほど読んで先行きをはかなみ、吐息と共に閉じます。
これが多くの人の自伝です。
たいていの人がヤラカスのは、履歴書的になっちゃうこと。
何年に生まれて、どこどこの小学校で修学旅行ではこんなことがあって、受験の時にはあの科目が苦手で、会社に行ってからは営業部でしごかれて。
それ、バイトの履歴書をちょっと詳しくしただけじゃないですか?
いやいや、広い世の中ですから履歴書マニアみたいな読解の達人がいるかもしれませんが、普通はそんなのを読むのは苦行でしかないと思うのです。
ではどうしたら読んでもらえる自叙伝になるのか。
そこらへんを次回にご紹介します。
まず、準備のことは先に考えておいてくださいね。
全体構成をどうするか、です。
時系列が多いとは思いますが、何年に生まれて、の冒頭ではいまひとつ読みたい欲を刺激してくれません。
まずは、書きたいことをつらつらメモにしてみましょう。
並び替えのできるカードやレポート用紙を活用するのは、自分用に書く時と同じです。ただしこちらは別に完成形を想定しますので、あまり熱心に書き込まないこと。そうでないと本番で息も絶え絶えになってしまいます。
次回は、
他、以下のようなものを準備していますので、お楽しみに!
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