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知ったかぶりの覚悟

キングダムしかり、ゴールデンカムイしかり、さまざまな遊廓(ゆうかく)ものしかり。もっと広く言えば歴史小説全体も。
現代日本に生きている私たちにとって、知らない世界のコミックや小説は「へえ~」と思えるというオマケがつきます。

でも、書く方だって現代日本に生きてるんであって、「あなたの知らない世界」は「私も知らない世界」。
新しい話題を提供するのは、楽しいけど大変で、でも好奇心旺盛な人たちにとってはやっぱり楽しいほうが大きいんだよ、というお話。

時代劇ばやり

 ここ十数年、時代劇が流行しています。
 違う分野で活躍していた作家さんも次々と時代劇に参入しているのが現状。

 私もいつくかお話をいただいていますが、怖い

 何がって、自分の知らない具合が怖い
 日本舞踊をやっていたために、こまごました変な知識はあるのだけど、ソレだって、エンタメである以上真実かどうかは調べないと判らない。なにせ、明治時代に作られた江戸風俗の舞踊、なんてのもごろごろあるんだから。

 例えば「木戸が閉まる」って知ってる人は、それは何時だろう、と調べることができるけど、木戸というものがない現代人はそもそもそんなものがあったなんて思わない。

 要するに、ぼんやりとでも知っていれば調べられるけど、最初に疑問に思うかどうかのきっかけは絶対的な知識量による、ということで……。

 私が若かった頃はまだテレビで時代劇をたくさんやっていました。なので、木戸番も出てきてましたね。舞踊では「八百屋お七」に「木戸を~」という歌詞が出てきます。
 だからそういうものだったと知っている。あとは調べる。

 けど、いざ全文を書こうとするとどうだろう。
 衣装だって、元禄と文化文政では袂(たもと)や髪の結い方が違う(と知っているから調べられる)。提灯のデザインもいろいろある(ので、たしか武家と町民では使い分けがあったようななかったような……と知っているから調べられる)。お店(たな)には、番頭や丁稚がいて、あっそうだ、手代(てだい)なんていう役職もあったような(と知っているから以下略)。

 食べ物はどうだろうか。お金の価値はどうだろうか。

 なまじ舞踊やテレビ時代劇を知っていると、平気でお銚子を出してしまったりする。「へい、お銚子一本」なんて言わせたりする。これ、たぶん違うと知っているから以下略だけど、知らなかったらほんと、平気も平気、ケほども疑問に思わない。

 そこが怖い。

 やまほど知らないことがあるんだよ。実際に生活しているこの現代日本にも知らないことがありすぎるのに、時代や土地が変わったら、まず、疑問を抱くことすら難しいほどの無知の荒野が広がっているんですよ。

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 私の本棚のごくごくごくごく一部ですが、これを見ても怖さが判ると思います。一冊読んだら、もう、時代小説を一人で書こうとは思えなくなる。

 私が時代小説を書くとしたら、風俗中心で、絶対に誰かオブザーバーをつけてもらう! そうしないと怖くて書けないよ、ほんと。

論文じゃない、エンタメだ!

 だからといって、かつての時代ごちゃ混ぜテレビ時代劇や、現代語で書かれた時代小説が面白くないかといえば……そうではない。
 ストーリーさえしっかりしてれば、多少の瑕疵には目をつむれる。ってーか、私ごときでは間違いにも気が付かない。

 それでいいんだと思います。

 学術論文ならともかく、エンターテインメントであれば、読者視聴者を楽しまさせることが第一義なので。

 ラノベ系で、歴史上の人物が現代に甦って、なんてものもあるけど、それはそれでいいんです。コミックのギャグシーンで最近の流行語を時代人物が話していたとしても、それはそういうもんなんです。

 この割り切りができるかどうか、という問題であって、私のように執拗に怖がることはないんですよね。

誰が読むかは判らない

 ただ、私がいつもSFを書くときに気を付けていることは、

 専門家が読んでも、バカにされない程度は頑張る

 ということです。

 正しいことを書くというわけではありません。
 嘘をつくなら、上手な嘘をつく、ということです。

 つまり、

 これ、間違ってるけど考え方は合ってる。
 やりたいことは判った。惜しい。

 くらいには、生温かく見守ってもらえる程度には調べよう、と思っています。

 ダメじゃんこれ、とか、バカじゃね? とかは思われたくないですし。

  この「ID-0」や、近日中にKindleで自己再販する予定の「みなとの星宙 放課後のプレアデス」では、量子論を使いました。

 箱の中の猫が生きてるどうか、とか、片方が確定したらどんなに時空が離れていてももう片方も確定する、とか、そういうややこしいやつです。はい、ぜんぜん判っていません。
 判っていないけど、理論は楽しそうだったので、つい……。

 で、このときには、奥付に表記したように物理学の専門家にオブザーバーとしてご参加願いました。やっぱり大量に間違えてましたね。出版前につぶせてよかったです。

 味付け程度の部分であやふやな知識を自分なりに調べて使う、というのはよくやりますけど、責任の大きいノベライズや、話の根幹に関わるネタでそれをやるのは危険です。

選考会にて

 ミステリ系の選考会でも、なんども「これはちょっと……」というものに遭遇してきました。

 私が選考した作品ではありませんが、例えば、

 大きなネタとして、実験室の液体窒素の容器が、中で気化したために大爆発する

 というのに、選考委員の作家さん(理科系出身)が首を捻っておられました。

「気化しやすいものの容器は、密閉しないんだよ」

 はい、私の認識もそうです。お椀を伏せたような蓋がついてるだけで、密閉しない容器なら知ってます。
 ゆえに、盛り上がるべき場面を盛り上げるためだとしても、それが気化して大爆発、は困る。

 私が選考したものでは、有名な人形のサイズがどうしても違う、というのがありました。作品中にはみんなが知ってる抱き人形が登場するんですが、それにドールハウスがあるというのが前提。いやいや。見たことないから。リカちゃんサイズじゃないから。念のためにググってみたけど、やっぱりなかったから。

 絶対にないか、と訊かれると自信がありません。が、少なくとも私と同じ程度の認識の読者は、おや、と引っかかるだろう、と発言しました。

 面白くするためには間違いも許容する方針ではありますが、前述したように、話の根幹や一番のアピールシーンでそれがあると、さすがに減点は免れないでしょうね。

プラスがマイナスにならないように

 書物は好奇心を満たすもの。古くからこう言われてます。

 エンタメではなくても、海外の風俗を知り、歴史を知り、新しい考え方を知るためには、やはり読書が一番強力な手段だと思います。

 面白さを提供するエンタメで、好奇心もくすぐられるなら、なおいいです。最初に書いたオマケですね。

 コミックで「キングダム」が流行し、アニメ化され、漢文の教科書や参考書にも参考図書として紹介されるようになりました。「ゴールデンカムイ」は近くて遠いアイヌ民族について事細かに生活が描かれていて、それを知るだけでも楽しいです(間違いがあるという指摘もWebで見ましたが、私には判りませんでした。もし指摘が本当なら、間違った知識を得てしまうのもまた怖いことの1つではありますが)。

 時代小説もそうですね。「大奥ってそうなってるのか、へえ」「吉原花魁、大変だあ」とか、わくわくする情報がくっついてると作品もなお楽しい。

 これはSFやファンタジー、ラノベにも言えることでして、自分で創ったかどうかは別にして「ここはこういう世界なのだ!ドーン!」「そうだったのかっ!へえーっ!」の応酬で、知らないことを知らせてもらう喜びがあります。

 なので、肝心の部分はしっかり詰めましょうよ。

 史実に基づくのなら、必死に調べよう。
 自分で創ったのなら、穴がないか確かめよう。

 その手間を惜しむと、オマケの+αにするはずの部分が、大きなマイナスになってしまいます。

 これは判ってるぞ、こんな話どうだ! と大風呂敷を広げる度胸も大事ですし、ここは要となるシーンだから絶対に突っ込まれないぞ! という覚悟も大事。

 うまく気持ちを調整して、下調べの努力で度胸をつけ、のびのびとした大嘘を書いていきたいですね。

みなさまのお心次第で、この活動を続けられます。積極的なサポートをよろしくお願いします。