見出し画像

「旅サラダ」の思い出

あかるくない話です。ご注意を。

 神田正輝さんが日曜の朝の旅番組「旅サラダ」を卒業された、とのポストが流れている。長い間、お疲れ様でした。いろいろなことがおありだったでしょうが、人気のレギュラー番組を持っていることが、きっと支えになっていたことと思います。

 娘が赤ちゃんだった頃、毎週見ていました。
 まだ病名がつかず、不安だらけでしたが、とにかく、生活リズムを作ってやることと、ボイター式の訓練をすることが大事で、夜型の私が必死になって早起きしていました。

 休日は幼児番組がなく、穏やかさを求めて「旅サラダ」にチャンネルを合わせていました。
 朝にふさわしいさわやかな紳士を見るのは、ちょっとした楽しみでした。優男っぽいのに、石原裕次郎の事務所に所属する男らしいところが好きでした。控えめでうるさくなく、それでいて笑顔が素敵でした。

 当時、娘の未来はまったく見えず、歩けないことを覚悟していました。

  前の家の狭くて暗い居間で、横に娘を転がしておいて、ぼんやり視聴。
 これを数十年くり返したら、やがて私の人生が終わってくれる。このまま何もせず何もできず、待つ。
 そんなイメージにとらわれていました。

 楽しいトークと見知らぬ土地の紹介に対しては、行きたいと思う希望もなく、うらやましいという気持ちすら持てませんでした。

 ただ、世界は明るいんだなあ、と思った。
 楽しく過ごしている人たちもいるんだなあ、と思った。

 寝転んだままほとんど動かなかった娘は、病名通りの特色をもって成長し、穏やかさとは遠く離れた生活を送るようになりました。
 事件や悩みや怒りや情けなさにまみれるたびに、ふと、おとなしい娘の面倒を見ながら、薄暗い部屋で「旅サラダ」を見、そのまま朽ちてしまったほうがよかったかもなあ、と考えたりします。

 神田正輝さんにも私にも、否応もなく降りかかるモノがある。
 私は仕事に逃避できているけれど、レギュラーでなくなった神田さんを何が支えてくれるんだろう。
 長い間ありがとうございました。これからのお幸せを祈っています。

いいなと思ったら応援しよう!

菅 浩江
みなさまのお心次第で、この活動を続けられます。積極的なサポートをよろしくお願いします。