Hiroko
20年以上の付き合いのある幼馴染のなれそめ。ただの思い出。
2回目の一時帰国の時、もちろんNに会おうと連絡した。 Nどこに行きたい? と聞いてくれたので、 私 銚子で魚買って食べよう! と提案した。 引かれた。 私 逆にどこに行きたいの? N ディズニーとか? 私 。。。。(;'∀') ということでディズニーに行った。 当時のディズニーはチケットを取るだけでも大変だった。 何かのキャンペーンでたまたま安くなってしまったのだ。 私は8000㎞離れたところから、ずっと待機をして、 なんとかかんとかチケットを手に入れた。
東京に戻ってきてから、私ははっちゃけ倒していた。 正直東京に戻ってきてから、オーストラリアに飛び出す2年弱は ほぼNとは会っていない。 Nは東京に戻ってきたけど、どのタイミングだったかわすれた・・ でも私は東京で婚活と仕事と英会話と、ナイトクラブ、ダンスレッスンで忙しさを極めていたので、Nと遊ぶ余裕もなかった。 お正月あたりで、駐車場で本当に1,2回出くわしただけだった。 あと大人になって一回だけバレンタインを渡したらしい。 (インスタグラムの投稿によると) そして
私は就職した先の最初の配属が地方になった。 なんと、Nは一足お先に私が移動する先の隣の県で仕事をしていた。 なんという縁というか、さすがにこれはもう運命かと思う。 その夏、一緒に近くのテーマパークへ行った。 Nが運転したいというから、わざわざ私の県まで迎えに来てくれて、 そのままドライブしながら向かった。 少し大人になった私たちは、話も弾み、昔のように楽しく一緒に過ごすことができた。 当時好きな人は特にいなかったが、 私はNに対して、好きという感情はもう消せないけども
お酒が飲めるようになった頃合いで、 私たちは飲みに行ってみた。 確か、Nが就職で実家から離れることになったから、 だったかな。 就職祝いを兼ねて。 (私は浪人したので、1年あと) 予約した時間まで少し時間があったので、 近くのカフェでお茶をすることにした。 私は無難なジュースをオーダーした。 Nは新作の飲み物が気になるけど、他のも気になるようだった。 迷った挙句、新作をオーダー。 飲み始めてすぐに「俺これきらい」 と言い出した。 私のと交換しようか? そういって飲
私は高校最後の最後で彼氏ができてしまい、 イチャイチャしすぎて大学受験に失敗しました。 Nは推薦で私立の大学に受かり、実家から通っていた。 私は浪人生として1年ひたすらに塾通いをしていました。 いつの記憶だかはわからないけど、 中学を卒業したあと、高校も卒業したあと・・? 親のお遣いで、Nの家にお届けものをするときに、 Nを呼び出して、マンションの下でおしゃべりをする機会もあった。 一時期それが続いて、マンションの知り合いに会って、 少しきまづかった記憶がある・・・
高校生になった私達。 私はなんだかんだNのことが忘れられなかったが、もうあきらめて、別の人を好きになろうと、なるべくNのことを考えないよう常に意識していた。 (その時点でNを意識していることは当時は気づいていなかった) NはNで高校で好きな人ができたようだった。 だけど、彼も報われない恋をしているようだった。 中学生の時、リアルに俺の事を書くな!って怒っていた彼が、 自分では好きな人のことを綴っていた時は内心で笑っていた。 私は私で、高校は女子校だったが、部活は吹奏楽部
高校受験を控え部活は引退、私は塾に通い詰めていた。 私は親の希望する公立の高校が第一志望。 Nは私立を志望していた。 塾は一緒だった。私が行っていた塾にNがやってきた。 親同士のつながりが強かったので。 しかも同じ先生が担当だった。個別塾だったので、先生1人を間に挟んで2人でそれぞれ勉強を教わっていた。 また同じ狭い空間にいることになってしまった。 部活を辞めてから、Nは少しだけ話すようになった。短い会話。 塾の帰りが一緒だったときは自転車で横並びに帰った。 Nが唐突
私たちは中学生になった。 一度もクラスは一緒にならなかった。 Nは陽キャになった。 私は陰キャだった。 部活は吹奏楽部に入った。 小学生の5,6年で金管をやっていたので、自然な流れだった。 Nも同じ吹奏楽部に入った。驚いた。 私はクラリネット、Nはパーカッションをやっていた。 それでも私たちは特に会話を交わさなかった。 中学3年の夏が終わって、私は急に吹奏楽部の仲間から嫌われた。 私が何をしたのかは不明。 無視、悪口を言われた。 でも相手は3,4人の少人数だったの
小学6年生になって、Nが帰ってきた。 Nのことはみんな覚えていた。 私がNのことを好きすぎて、当時同じクラスだったお友達は全員 N=ひろこが好きな人。という認識だった。 Nは引っ越し先の訛りが染みついて帰ってきた。 それまで手紙で散々愛をささやき合った私達。 小学生ながらにお互い両想いであることは知っていた。 だけど、私は恥ずかしくて今までひろこちゃんと呼ばれていたのを 苗字で呼ぶようにNに言った。 私もNの事を苗字で呼ぶようになった。 Nが帰ってきてからは、ちゃん
3年生になっても、4年生になってもNは帰ってこなかった。 他にすきな男の子はできなかった。 何人か、私に好意を寄せてくれている男の子がいるのは知っていた。 それでも私はNが好きだった。 小学校5年生あたりの時、両親がPCを買った。 日曜日の朝、お父さんと一緒に起動させた。 あの音に感動したのを覚えている。 PCが来てから、NとEメールのやりとりをするようになった。 最初は学校でもらったローマ字表を見ながら、ゆっくりとしか打てなかった。 でもNと沢山お話がしたくて、たく
彼が引っ越してしまってからは、本当に寂しかった。 でもNの家族は、元のマンションに帰ることは決まっていたが、いつかはわからないという状況だった。 それからずっと、親同士が電話をしているときは「Nくん帰ってくるって?」と必ず聞いていた。 私は手紙をよく書いたけど、Nはなかなか返事はしなかった。 たまに来る手紙には彼が今はまっていることを書いてくれていた。 大体はサッカーの話。 そして「最近NARUTO」にはまっている、と書いてあった。 私は急いで本屋さんに行って、お小遣い
小学校入学するころには私はもうN のことが好きだった。 その時の感情はあまり覚えていないけど、入学式の後クラス発表があり、 同じクラスだったことに喜んだ。 そして隣の席だったことに歓喜したことをよく覚えている。 お母さんに「席が隣で嬉しい!」と言っていた。 隣の席に座っている写真もばっちりアルバムにあって、実家に帰るたびに思い出している。 当時はずっと一緒にいた存在だったので、家族と同じくらいの「好き」という感情があったんだろう。 もちろん学校へ行く登校班も同じだっ
これは私と幼馴染 Nのお話。 「異性の幼馴染がいる」というものはいいものだ。 それを自慢したいがゆえに、覚えている限り、書き留めていく。 私とNの出会いは幼稚園。 私は4、5歳で今の実家のある街に引っ越してきた。 小さい子供にとっての全くの新しい環境はなかなか緊張するもの。 お母さんと幼稚園に見学に行ったときのことも、ピアノの前で先生に紹介された時のことも覚えている。 そんな幼稚園に慣れてきたころ、Nは同じマンションにやってきた。 そして幼稚園も一緒だった。 おたがい
おもろいから残しとくね。大嫌いなシェアメイトの元カノの浮気相手と同じ家に引っ越してた(笑)今日バッチリ二人と出会っちゃって笑った
メルボルン生活も残すことあと1年。 ここで私は家探しをしています。 今の家に引っ越してきたのは11月。立地もよく、施設もよく、シェアメイトも優しい。 もうここを最後にする、、!と誓ってから早4ヶ月 もう今すぐ出たいです!(笑) 人の本性はすぐにはわからんし、人の気持ちもすぐ変わるんですねぇ。 ま、その話は興味があれば聞いてください。愚痴満載でお送りします。 てなわけで、家を探しているんですけども、タイミング悪く国境が開いてしまった。 値上がりはしょうがないとし
12月になりました。 もともと12月いっぱいでメルボルンは出る予定でしたが、、 長い長いlockdownが開けて人が足りないホスピタリティの現場。インスタが求人だらけに。そこでずっと行きたいと思ってたお店や憧れのカフェも求人をしているのを見て、「やりたい」欲が爆発! それまで働いてたテイクアウェイのみのカフェで少しシフト増やしてもらえたらいいな。できたらベーカリーやりたいな。くらいで考えていた私。お金にひどく困っていたわけではないので、そんなセカセカ働きたくもなかったで