酸欠ながらも生きていく、
先日、2024/9/20に酸欠少女さユりさんが亡くなったという情報が公開された。
死因は公開されていないから、憶測で物を語るのは良くないかもしれないけれど、今回のさユりさんの死と今までの楽曲の歌詞から、色々考えさせられている。
毎日息苦しい。
色んな不安や義務感に追い詰められながら、でも後ろ向きになることは許されないような風潮だから、ずっと何かを頑張っていないといけないような気がする。
『休んでいいよ』
と言われても、休み方が分からない。
どうしたら自分が楽になれるのかも、分からない。
何かに期待したくても、結局いつも叶わないと悲観して、諦めてしまう。
というか、諦めないと、期待して裏切られた時の方がショックで辛くて、きっと立ち直れない。そう思うと、全てがマイナスにしか考えられなくなる。
出口が見えない、暗くて細いトンネルの中で、それも酸欠になりそうなほどに暑苦しい空間の中で、ずっとずっと頑張り続けるなんて、私には出来ない。
誰にも言えない気持ちや悩みに押し潰されそうになって、孤独感に打ちのめされそうになって、いっその事消えた方が楽なんじゃないか、と何度も何度も考えた。
なんてこと言っても、勇気なんて何処にもないんだ。
でもこの不幸から幸せになるには𓏸𓏸…とか、
《心理的視野狭窄》
だとかいう現象に括られてしまうんだろうな。
悔しい。
私の気持ちは私だけのもので、何かと、誰かと一緒くたになんかされたくないよ。
そして誰にも否定されたくない。
自分がそう考え、感じているんだから、それ以上も以下も無いんだよ。
死にたいと思うことも、消えたいと思うことも、何もかも放棄したいと、逃げたいと思うことも、全部私が決めていいんだ。全部全部、私の自由なんだ。
でも、『今日一日だけを生きよう』とすることだけ、私は頑張ろうと思っているよ。
それ以外は何にも考えなくてもいいんだ。
毎日毎日苦しい中、息してるだけで、付随して時間が経過しているということだけで、もう、凄いことなんだって、私は信じてる。
今世の寿命を全うして生きれたら、来世は幸せになれるかな。
私も、来世で会いたい。
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