【仕事】HSP気味の僕がマネジメント
僕は台湾へ現地採用として雇用されやってきた。
日本から他国の日系企業拠点で働く体系として、
現地採用(現採)の他には、駐在員がある。
その待遇は結構異なり、基本的に駐在員は「組織の人事の都合で、他国に配属される身」であるため、それなりの役職と給与、プラスアルファの現地給与や住宅補助があることが多い。
僕がその企業に雇用されたときは、社員数は20名程度で駐在員は2名のみ。
僕含めたその他は全て現地採用の社員だった。
これは日系企業が海外に進出する際には、ごく普通な構成で、駐在員がマネジメントを行い、組織を運営する。
日本本社はベンチャー企業だったので、人事変更や、伴う異動が頻繁にあった。勤務3年目には上司も総取っ替えされていた。現地採用のメンバーも結構辞めたり、入ったりで入れ替わっていた。
そして、フツーに営業成績を収めていた僕は、徐々に古株になり、主任→マネージャーになっていた。
役割としては、日本人チームの管理。
新しく採用された日本人(男)1名と、本社から来たプロパー(新卒から勤続、女)1名、もう1名は半年前からいる駐在(女)1名の計3名のメンバー。
結論から話すと、多分全員から嫌われていた。笑
僕もその自覚がある。
当時営業には明確なノルマ(売上目標)があり、給与の〇倍の金額を毎月稼がないと、拠点として利益を上げていけない構造設計だった。
なので、大前提としてこのノルマをクリアしない営業は価値がない。
特に給与の高い日本人、しかも駐在員となると僕よりも給与水準は高い。
僕は、常に「3ヶ月連続目標未達成だった場合、会社をやめる」という意気込みで働いていたし、公言していた。
「そんな、大げさなー。」と言われそうだが、
台湾人の給与は僕たちの半分、新卒なら3分の1以下の社員もいたので、
僕からすると、優秀な台湾人をもっと雇用する方が、会社、そして国の雇用につながると考えていたからだ。
その考えは今思い返しても間違ってはいなかったと思うが、
振り返ると、少し熱が入りすぎていた。
当時は初のマネジメントで熱も入っていたし、日本人メンバーへの当たりはかなり厳しくしていたと思う。
加えて、僕の性格として細かいことも気になってしまう。
台湾に来たばかりの駐在メンバーAは、結構なマイペースで、それが気になりすぎた。
彼女は初海外勤務で、日本では実家暮らし。お母さんが身の回りの世話をしてくれていたらしい。台湾での家探しも、会社の台湾人人事が3つ4つ候補を提示し、毎回内見に同行、やりとりと仲介させられていた。
現地採用の僕は、航空券も自分で手配し、家探しは言葉も話せないので、アプリで日本語の話せる人を探しだし、なんとか家の契約をした。
彼女はほぼ毎日遅刻してきた。5分程度の時もあれば30分の時もあった。
最初は道に迷ったり、事故にあったんじゃないかと心配して何度も連絡していたが、聞くと「環境が変わって、寝坊した」とかだった。
彼女が初案件受注できそうな時も、残業して書類の作成に付き添った。
体調が悪そうだったので、早く帰った方がいいと言っても頑張っていたので、
僕も付き合いたいとオフィスに残った。
結果、書類(請求書)は0が一桁足りないミスをしていた。
そして夜中になって具合が悪くなったらしく、救急で病院に駆け込んだらしい。
それでも、がんばれ頑張れと見守った。笑
翌日、無事受注できたのだが、一切報告はなかった。
人づてに聞いたので、本人に「おめでとう!受注したんだって?」
と聞くと「あ、はい」と塩対応食らった笑
その後も遅刻、書類ミス、顧客を怒らせたりとトラブルばかりだったので、
コミュニケーションを取りたかったのだが、塩対応か、言い訳ばかり。
僕は拠点長に、不満をぶつけた。
「なぜ彼女を本社から来させたのか」と。
海外での暮らしも明らかにあっていないし、遅刻は改善されない。
話をしてもプライドが高くツンとしている。
致命的なのが、売上が半年未達成。
これでは、見合う給与を受け取る資格がない。
僕は、彼女が達成できるように導くのが仕事なのに、
それどころか、徐々に彼女が嫌いになってしまった。
彼女も僕のことを嫌っていた。
他の社員と飲み屋に繰り出しては、愚痴だらけ、僕の管理が悪いし納得がいかないと話していたらしい。
しまいには、彼女は拠点長に、「僕(Hirochi)は密かに転職活動をしている」とデマを流し出し、なぜか拠点長も僕の転職を疑い始めていた。
僕に対するネガティブキャンペーンが始まったのである。
「マジであいつ帰国させてください。」僕も拠点長に話した。
結果、彼女は本社に帰任した。
その後、彼女に対する憤りはほとんどなく、
僕の不満は会社と相談もなしに配属させた拠点長にあった。
マネージャーである僕との相性悪すぎだし、数字もあげない。社内空気最悪。
僕は、自分の管理能力不足があったことを棚に上げて、
本社の人事配置のせいにしていた。
彼女は、帰国が決まった時、泣きに泣いていたらしい。
「台湾なんか来るんじゃなかった」そう思ったかもしれない。
何か他のアプローチ、適切なコミュニケーションができていたら変わっていたのかな。と考えることもあった。同期の日本人にも相談しまくっていた。
海外に来る日本人は結構一癖も二癖もあったりする。
いい意味でも根性が座っていて、それを受け入れてあげなければ、彼ら彼女らもマネジメントの言うことに耳を貸さない。
会議中に口笛を吹いたり、大股開いてダラーんと席に腰掛けていたり、
ゴリゴリの日系企業で新卒を過ごし教育され、そもそも繊細で気になる体質の僕は、「日系企業での一般常識や礼儀」に対し、いちいち注意していた。
でも今思うとどうなのだろう。
遅刻しようが、口笛を吹いていようが、成績(結果)が付いてきているのであればそんなことどうでもいいんじゃないかとも思う。
何が正解かわからなくなるのだ。
また、結果だけにこだわるのもよくないと思う。
他のメンバーだが、自分で課題を振り返り、変化を起こしている社員もいた。
ただ数字がついて来ず、悩んでいたのだと思う。
ただ組織的に、結果が出ない社員には「詰め」が入る。
経営者が詰めるのは理解できるのだが、
社員との干渉になる管理職はどうだろうか。
「それをどう実現させるか」を導かなくてはいけないし、
コミュニケーションをメンバーに合わせて変えなくてはいけない。
社員と同じ目線で「愚痴」を吐いていてはいけないし、
「上から言われているから」と伝書鳩になっていてはもはや無能であると思う。
長くなったが、僕の初のマネジメント経験はボロクソに失敗した。
だが、めっちゃいい経験になったと考えている。
「自分ができるから、お前もこうしろ」ではできないし、再現性がない。
同じ目線に立ち、その人にあったコミュニケーションで、できる方法を考えられる能力が大切なのだと学んだ。
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