「自然の時機を知る」 〜『報徳記』より
二宮尊徳金次郎の伝記(『超訳 報徳記』)を読みました。
二宮金次郎というと薪を背負って本を読むイメージが強いです。小学校の校庭の隅に銅像がありましたよね(昭和世代だけかな?)
再建請負人としての二宮尊徳
弟子である富田高慶がまとめた本書を読むと、「勉強家」というイメージ以上に、「農業軸での実業家」「財政再建請負人」としての二宮尊徳像が浮き上がってきます。
天明・享保など大飢饉が頻発する時代に、数百町村の再建(仕法)に関わってきた尊徳ですが、ちょっとやそっとの依頼や命令では仕事を引き受けなかったことが分かります。これは、仕事人としての責任感の現れであると同時に、改革・変革に対する潜在的抵抗感という人間の性をよく理解していたからなんだろうな、と感じました。
円応に伝えた「時機」という言葉
烏山藩(栃木県)の仕法でも、村民救済に尽力していた天性寺 円応和尚からの懇願に当初はけんもほろろです。そもそも会うことすらしません(笑)。何度も断り、家老 菅谷氏、烏山藩主の本気度を見定めたあと、自身が仕える小田原藩主 大久保忠真公からの君命をうけるにいたって、ようやく指導を引き受けます。
烏山 再興が軌道に乗りはじめたころ、その円応 和尚が尊徳へ相談にきます。厚木(同じ烏山領地)で尊徳の教えが実行されていないことを嘆き、教えを広めにいこうというのです。これに対しても、尊徳はこう言い放ちます。
「それはよくない。行くのはおやめなさい。およそすべての物事には自然の時機があって、その時機が来なければ何事も出来ないものです。(略) 烏山は時機が来たので、仕法が行われたのです。
厚木が仕法を必要とするならば、必ず烏山に来てその様子を尋ねるはずです。しかるに烏山の君主が仕法を必要とし、民を安んずる道を行っていることを知りながら厚木では無関心です。これは求める時機がまだ来ていないからです。厚木から聞きに来るなら教えてもよいが、こちらから行って説きつけることは自然の道ではない。無理に行くと後日の憂いになるでしょう」
と引き止めた。
尊徳の制止をふりきって厚木に向かった円応和尚は、当時流行していた疫病にかかり、病死してしまいます。結果、もともと行っていた烏山での仕法も停滞することに…。
「すべての物事には自然の時機がある」「その時機が来なければ何事も出来ない」は、運を天に任せているようで無責任にも聞こえます。でも、実践し成就させるという意味では、タイミングほど重要なものはないのです。
自然の時機を知る
自然の時機を知る。
機が熟すのを待つ。
二宮尊徳の報徳思想は「至誠・勤労・分度・推譲」の4つの教えが有名です。ここに「自然の時機を知る」も大切な一つとして加えよう。そう感じました。
(小田原にある報徳二宮神社にて。仕事人としての尊徳像)
※TOPの写真は、小田原・栢山から眺めた富士山。2018年5月に、二宮金次郎生誕の地をめぐる旅で撮った一枚です。