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女子サッカーだけでなくJFLも取材した2019年

 年の瀬も押し迫って参りました。お元気にされてますでしょうか?

 今日は今年取り組んだことについて書きたいと思います。

 そもそも、なぜ仕事もしながら女子サッカーを取材し始めたのか?

 そこからお話を始めたいと思います。

「女子サッカーを文化にするために」できること

写真5,吉武

 2017年、『プレナスなでしこリーグ』の開幕記者会見で、このシーズンの放映権がどこにも売れていないことが判明。地方テレビ局が単発で放送する以外には継続した試合中継がなくなることが分かった。開幕宣言どころか、“閉幕宣言”のように聞こえた。

 2011年の『FIFA女子ワールドカップドイツ大会』で優勝し、東日本大震災で被災して間もない日本を勇気付けくれた選手たちが苦しんでいた。元日本代表の主将MF宮間あやによる「女子サッカーを文化に」という言葉を思い出し、筆者も「自分にできることはないのか?」と自問自答した。

 特に、前年になでしこジャパンがリオディジャネイロ五輪のアジア予選で敗退した際、試合内容ではなくゴシップネタによって予選敗退を報道したメディアに強い不信感を持っていたことを思い出した。

 そこで、平日は自分の仕事があるので無理ながら、「せめて試合のことだけでも」と思い、「週末はなでしこリーグを取材してみよう」と思い立って活動を開始した。

 公式に初めて取材したのは、『2017プレナスなでしこリーグ』1部の第8節、伊賀フットボールクラブくノ一 VS INAC神戸レオネッサ戦。この試合で大活躍した当時・大卒ルーキーのMF吉武愛美(写真はその試合で見事なサイドチェンジを通す姿)は、翌年にASハリマ・アルビオンへ移籍するも、長引く怪我の影響もあって今年限りで現役を引退。

 この日から3シーズンが経過した現在、吉武の引退はいろいろ考えさせられた。

JFLを取材した2019年

ミラ監督1

 今年の特に上半期はなかなか時間が作ることができず、取材回数は少なくなった。仕事もあって予定が入れれないので取材の申請ができず、当日になって少しだけ時間ができて試合観戦にだけ行く日もあった。そんな時に、

「あれ?今日は取材じゃないんですか?」

と、話しかけてくれる各クラブの関係者やサポーターの方々がいて嬉しかった。今の活動をしていなければ出会うことはなかった人々だったからこそ、それはそれは嬉しい限りだった。

 そんな取材活動が減った今年だったが、なでしこリーグだけでなく、日本フットボールリーグ(JFL)の取材もするようになった。

 その最大の理由は、鈴鹿アンリミテッドFCの指揮官に就任した、ミラグロス・マルティネス監督(上記写真)の存在。日本ではJリーグを含めた男子サッカーの全国リーグ史上初めて誕生した女性監督だった。

 ミラ監督は未だ34歳にしてUEFAプロライセンス(日本のS級ライセンス相当)所持者。男女問わず、この年齢にして最高のライセンスを持ち、遠い異国で指揮を執るスペイン人の若手監督。日本人で同じことができる人はいるのか?と言うよりも、日本では男女問わず、この年齢で監督に抜擢する例すら、あまりない。スペインで現役選手としてプレーしたあとは、下部組織の指導者や女子チームの監督を歴任。スポーツディレクターとしての経験もある。

 女子サッカーを取材する筆者にとって、とても気になる人物だったことから、6月に初めて鈴鹿アンリミテッドFCを取材し、その後は複数回に渡って取材させていただいた。

人脈の大切を実感したJFLの取材

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 そして、JFLを取材するようになったキッカケはもう1つ。

 なでしこリーグを取材している際に知り合ったスタッフの方が、とあるJFLのチームに“転職”されたこと。

 しかも、偶然にも出張した先で鈴鹿とのホームゲームがあり、思わずチケットを購入して生観戦。その日はNHKのサッカー中継のエースアナウンサーや、日本代表から地域リーグまでを取材するカメラマン&ライターの宇都〇〇壱氏も取材されていたため、JFLに対する想いも強くなった。

 当然、旧知のスタッフの方ともご挨拶し、改めてシーズン後半戦になって調子を上げて来ていたFCマルヤス岡崎のFW平井将生選手にインタビューする機会もいただけた。

【インタビュー掲載記事】「浪速のアンリ」平井将生インタビュー!ガンバの育成、最高のパサー、そして現在(フットボールWEBマガジン『Qoly』)

得意の裏抜けでスペースに走るFW平井

 大阪で生まれ、Jリーグ初年度からサッカーを観始め、中学・高校とプレーしてきた筆者にとって、ガンバ大阪のジュニアユースへ地元・徳島から”越境”して加入し、ユースを経てトップ昇格。その後も軒並み揃う強力な外国籍FWとポジションを争いながら、J1で得点を量産した平井選手はまさに「テレビで観て応援していた選手」。

 こんな機会をいただけたのも、人脈の大事さを感じたが、その平井選手自身が、未だにガンバ時代のチームメートが試合を観に来てくれていることを知ったこともあり、やはり、人脈の大事さに気付かされた。

 日本だけでなく、世界的にA.I.の普及がさらに進む時代に入って、全てがデジタル化される“無機質な時代”が到来する。そんなニュースを今年はよく耳にし、目にもして来た。

 でも、やっぱり、“人のつながり”の大事さを、サッカーから改めて教えてもらった2019年でした!

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