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【建築】"巨匠の影"が見え隠れする斜めの家(渡邊洋治)

車で県道から住宅街の中に入った時、それは突然姿を現した。

「おお! 斜めの家だ!」

そこにその形の建物があると分かっていたのに、思わず声が出てしまった。それほどインパクトがある第一印象だった。


今回、現在は誰も住んでいないこの住宅を見学させて頂く機会があったので、ここに記しておく。




この住宅があるのは新潟県上越市。正式名称は田中邸だが、通称は斜めの家。地元出身の建築家・渡邊洋治が1976年、妹夫婦のために建てた家である。通称の由来は書くまでもないだろう。

まず特徴的なのは黒褐色の外壁。
この建物、表面には銅箔が貼られている。銅は元は赤褐色をしているが、酸化によって変色が起こりやすい。もちろん設計者はそのことを心得ているはずだ。つまり銅は経年変化を楽しむ?材質とも言える。

竣工当時はどのように見えたのだろう?


ランダムに設けられた小窓も興味深い。

「あれ? この小窓。どこかで見覚えが…」


上の階を少し迫り出すことによって、玄関周りに庇の機能をもたせている。この地域は積雪も多いので、これなら安心だ。
中間の支柱の上面までちゃんと斜めにしている門扉も凝っている。


頑丈そうなデザインのドア。


玄関には覗き窓や靴を履くためのベンチを備えている。

宅配ボックスもある。玄関としてはフルスペックだ。


赤い絨毯が眩しい。


中に入ると廊下、いやスロープが延びていた。壁にも開口やニッチがあり、カラフルな色使いとなっている。

「あれ? この色使い。どこかで見覚えが…」


こちらは洋間。
この日は生憎の曇りだったが、庭の緑と絨毯の赤の塩梅が美しかった。


小窓が並んでいるのは北側。対して南側の部屋には大きな窓があるので、縁側のように腰かけて庭を眺めることもできる。決して広い部屋ではないけど、天井が高いので気持ち良い。


凝っているのは建具。室内側から障子戸、簾戸、ガラス戸、雨戸となっている。その日の天気に合わせて快適な戸が選べるのだ。


隣は台所。

簾戸を通して入る光が良き。


ところで台所や洋間での天井と壁の取り合い。

「あれ? この隙間。どこかで見覚えが…」


台所からは小上がりのように和室が続く。畳の縁と部屋の建具の枠を一致させているところはいかにも建築家が設計した住宅らしい。


大きな窓の下には、寝転んでも?見える横長の小窓がある。


トイレと浴室はスロープの突き当たりにある。


最近の住宅の浴室では、湿気に弱い木が仕上げに使われることはないだろう。手入れが大変だからね。でもこれだけ小窓があれば換気もし易い!

簾戸も趣がある。


スロープを折り返して2階へ。

「あれ? このスロープと折り返し。どこかで見覚えが…」


2階には和室が2部屋ある。

障子を開ければ縁側的空間。

窓は1階と同じく4重窓。

床の間。

…に隠された収納。


もう1部屋はこの住宅や建築家の資料展示室となっている。
1階の和室もそうだが、紺色の使い方がユニークだ。

押し入れ収納の下にもスロープとつながる小さな開口がある。

「あれ? この紺色。どこかで見覚えが…」


庭のある南側は小窓が並ぶ北側とは対照的な表情を見せる。段々になった部屋の配置がよく分かる。


戸袋は水平ラインを強調したデザイン。銅色の中で白と黒という色使いは、かえって目立って面白い。


以上で見学は終了。
小さな建築ながら見どころ盛りだくさんの見学であった。




この住宅、個人的にはやはりスロープが印象的だった。
光の観点からも、小窓を通して入る自然光や照明、絨毯の赤色が壁に反射して、不思議な感覚に陥る空間を作っていた。


実はこのスロープは当初の計画案にはなかった。図面を拝見させてもらうと、そこにはスロープではなく普通に階段がある。


ではなぜスロープとなったのか?

ここで話は建築家の経歴に遡る。
この家の設計者である渡邊洋治さんは1923年に旧直江津市(現・上越市)の大工の家に生まれた。学校は新潟県立高田商工学校に進学し、卒業後は直江津で就職したが、太平洋戦争が起きると船舶兵として入営した。
戦後は久米建築事務所(現・久米設計)に入社、1955年に早稲田大学理工学部建築学科・吉阪隆正研究室の助手となった。吉阪さんは言わずと知れた巨匠ル・コルビュジエの弟子。つまり渡邊さんはコルビュジエの孫弟子ということになる。
その後の1958年、独立して自身の建築事務所を開いている。

代表作の第3スカイビル(GUNKAN東新宿ビル) 2025年1月撮影


建築家として最後の作品となった斜めの家が完成したのは1976年。
実はその前年、つまりこの家を設計していたであろう頃、渡邊さんは師である吉阪さんらと共にインド北部を訪れている。その目的にはコルビュジエが計画したチャンディーガルを訪問することも含まれており、州の庁舎を見学している。その庁舎には赤色が使われたスロープの空間があったそうだ。

World Heritage Convention ウェブサイトより


いかがだろう?
どう見ても、この建築から影響を受けたとしか考えられない!
しかもコルビュジエからの影響はこれだけではない。そう、先ほどから「どこかで見覚えが…」と思ったていたモヤモヤの正体、それは「斜めの家はコルビュジエ建築では?」という既視感だったのだ。

チャンディーガルでは内部を見学できなかった私だが、他のコルビュジエ建築では同じような空間を見ている。

例えばランダムな小窓はロンシャンの礼拝堂でも使われている。

師匠・吉阪隆正によるVILLA COUCOUでも。

開口部のカラフルな色使いも特徴の一つだ。

天井と壁の隙間。これもロンシャンで見た。

折り返しスロープはコルビュジエ建築では必須である。

壁の紺色。サヴォア邸がそうだった。(オリジナルかな?)


これはもう日本の住宅とコルビュジエ建築の融合ではないだろうか?
外観からして既に"只者ではない"ことを匂わせていたが、内部空間も只者ではなかったのだ。


ちなみに建築家はこの家を設計する時に「潜水艦をつくるぞ」と周囲に語っていたそうである。夏には米どころ新潟の水田の中で、少しずつ成長する稲に家が潜行していくイメージを、あるいは冬には積もりゆく雪の中に家が潜行していくイメージを持っていたのかもしれない。




冒頭書いたように現在斜めの家は空き家となっており、誰も住んでいない。
こうした古い住宅は住人がいなくなると取り壊しの可能性があるし、そうでなくても荒れ果てたりする。特にここは気候条件が厳しい地域だ。写真でもお分かりになったと思うが、実際に内装は劣化や雨の侵入などで汚れが目立っている。外壁の銅箔が剥がれている箇所もある。


しかし「狂気の建築家」「異端の建築家」とも呼ばれる渡邊洋治の唯一無二とも言えるこの貴重な住宅を残すため、同じく地元出身の建築家・中野一敏さんらが中心となり、オーナーの了承を得て、「渡邊洋治設計『斜めの家』再生プロジェクト」を立ち上げ、修繕・保存活動を行っている。


それには資金も必要であり、2023年にはクラウドファンディングも行われた。幸いにして目標金額は達成されたようだが、それだけでこの住宅が安泰となったわけではない。今後も修繕や管理のために継続的な資金・手入れが必要となる。


これは斜めの家に限らず、古い建物を残していく上で避けては通れない問題だ。
クラウドファンディングなどで一時的に資金が集まっても、現実には初期の修繕費用にも満たないことが多い。例えば電気や水道、空調の設備更新は建物利用のためのみならず安全面からも必須であるが、一般的な住宅規模の建物であっても数百万円はかかってしまう。
また意匠的にもオリジナルを尊重しながら修繕しようとすると、使う部材も限られ、手作業も多くなり、いくらお金があっても足りない。周りの人たちの協力を得ながら少しずつ資金を集め、時間をかけながら進めていくしかないのだ。私も少しだけそんなプロジェクトに関わっているので、なんとなく分かる。

さらには上越という場所も不利に働きやすい。今は東京や大阪の都市部でも古い建築の再生プロジェクトは数多くあり、そうしたプロジェクトに比べると注目度も低くなりがちだ。また関心がある人たちがボランティアで作業に参加しようと思っても、遠方なので気軽に現地を訪れることも出来ない。
ホント、色々難しいね…。


という状況ではあるけれど、私個人としては、少しでも協力できることは協力させて頂きたいと考えている。このプロジェクトのコンセプトは「泊まって学べる名住宅」でもある。次に訪れる時はぜひ泊まって、この住宅や古い建築の保存・再生について学んでみたいと思っている。




京都にある1932年築の洋館を使いながら再生するプロジェクト

コルビュジエ建築


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