無宗教だった俺がクリスチャンになるまで2
written by wattle🌼
今回はキリスト教との最初の出会いについて書きます。
■ カトリック系の幼稚園
俺はカトリック系の幼稚園に通っていた。親としては他にも選択肢はあったと思うけど、「モンテッソーリ教育」を受けさせたいということで母親が選んでくれた幼稚園だったっぽい。「モンテッソーリ教育」の目的は、「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てる」ことらしい。
https://sainou.or.jp/montessori/about-montessori/
ちなみに、当然お寺の保育園とかと一緒で、別にそこに通わせている家庭が信徒というわけではない様に、我が家もクリスチャンでは無かった。(今でも実家にはおじいちゃんが買った仏壇と神棚があり、身内の法事があれば檀家のお寺にお世話になっている)
この幼稚園では、毎日「アーメン」のお祈りをしたり、クリスマスの時には「きよしこの夜」とかを歌って演劇会をしたりしていた。当時、演劇の内容はちんぷんかんぷんで、どういうストーリーなのか全く理解していなかった記憶があるのだけれど、まず間違いなく、イエス生誕のエピソードだったのだろう(キリスト教界隈(?)で子ども演劇のど定番)。
「アーメン」の意味も、演劇の意味も、マリア様と呼ばれる優しげな立像が玄関にある意味も、教会を兼ねた講堂に十字架が掲げられている意味も、何も分からなかったけど、全般的に俺はそういったものを『キレイでいいな〜』という思いで眺めていた気がする。
■ 卒園式のロザリオ
そして、卒園式の日。上記掲載写真のロザリオが、卒園生一人一人に与えられた。(元は確か数珠が付いていたと思うのだけれど、もう壊れて十字架部分しか残っていない。)
これが、圧倒的に摩訶不思議だった。イエス様今にも死にそうじゃん…!?こんなものが卒園のお祝いのプレゼントだと…!?大好きな園の先生たちは一体どんなセンスでこれをプレゼントに選んだのだ…?
と、いぶかしがる一方で、キラキラと輝いていてお母さんのつけるネックレスのように貴重なものにも思えたので、早速帰ったらこのロザリオは子どもの宝物BOX入りを果たしたのであった。(子育てしていると分かるが、キラキラしているものに子どもは目がない。。笑)
俺は物を大事にする方なので、この宝物箱は小学生になっても使っていて(今もあるが)、宝物箱を開けるたびにこの不思議な十字架を眺めていた。大きくなってこれがキリスト教のシンボルであることを理解した後も、「謎だけど大事な宝物」として、俺の部屋の片隅にそっと存在し続けていたのだった。
ちなみに、俺は小学校2年生のときに引っ越しをした。引っ越し後、引っ越し前のずっと小さい頃に住んでいた土地や思い出とのつながりを、このロザリオを眺めるときに感じていたかもしれない(ディアスポラ?)
written by ひろびろ🍀
wattleの幼少期の温度が感じられるような文章、ありがとう。
カトリック系の学校、とかってよく聞くけど、縁がなかった身からすると「宗教色のない学校と何が違うんだろう」っていう素朴な疑問があったから少しだけ垣間見れてすごく興味深い…
『キレイでいいな〜』っていうwattleの感じ方がとても純粋で子どもらしくて、想像したらなんだか癒やされちゃった。笑 幼少期に、おもちゃとはまた違う、大人が見ても美しいと思うような「キレイなもの」に触れられていいなーと純粋に思ったよ。
俺たちが知り合う前からの歴史をこうして共有するって、なんかいいよね。
続き、楽しみにしてます!
written by wattle🌼
好きな詩を思い出したので、冒頭を紹介します
『子供時代』 茨木のり子
どんなふうに泣いたろう
どんなふうに奇声を発し
どんなふうにしんねりむっつりしていたか
その人の子供時代に思いを馳せるのは
すでに
好意をもったしるし
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