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直筆の手紙

年賀状の売り上げが年々下がっているという話はもうみんな知っている話かなとは思う。それは当然だろうと、メールの普及からSNSの発展、そしてカウントダウンのイベントとしてすでに直接会っているということがある現状で、年賀状でご挨拶というのは必要ないと思う方も必然だなと思います。

そしてそれは日常にも言えるだなと。

仕事の都合上いろんな郵便物が事務所や自宅に届きます。その郵便物のほとんどが事務処理的な書類かイベントなどのご案内。個人的なプライベートなお手紙ってほんとうに減ったなと感じています。私だけかもしれませんが。

そしてそんなお手紙も宛名も文面もパソコンなどから打ち出されたものであり、直筆(手書き)のものはあまりない。私も全文直筆(手書き)のお手紙はなかなか書かなくなってきたというか書けなくなってきた気がします。

きっと手書きのときは、書く前からちゃんと内容も文章自体も推敲し、まちがわないように、そして読みやすいように丁寧に集中してかいていたのだと思います。しかし編集が何度でも可能になったデジタルな世界では、その推敲を書きながら何度もできるからこそ便利だし頼ってしまう。丁寧に、集中してということはかわらなくても、まず書き出してみることで書きたいことがより見えてくるということもあり、デジタルに寄っていく。

しかもタイピングされた文字は読みやすいのと、整理されているから多くの情報量も入れ込めてしまいます。便利だ。

だからついつい個人個人に送るお手紙でもパソコンで打ってしまいがち。(もはやそれならメールでよいかも笑 もちろん手書きじゃないとダメという話ではありませんのであしからず。)

私は支援者・協力者のみなさんへの年賀状はできるかぎり一言だけでも手書きをするようにしている。年賀状は特に多くの方に同じものを送るからこそ、宛名みながら、相手のことを思い出してみたりしながら一言添えるようにしている。正直それだけでも多くの気づきを得ることがある。できればもう少しプライベートなお手紙も書きたいなとは思う。(住所知らない問題はありますけどね笑)

受け取る側としては、個々人の考えがあるとは思いますが、私は結構お手紙よろこぶタイプです。でも結構達筆な方からいただくと読めないというハプニングもありますけどね。

みなさんは最近お手紙書いてますか?

以上、今日も一斉送信したり、パソコンで作ったお手紙や案内ばかり発送したことへの反省文でした。

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