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HIROBA編集版 「阿久悠をめぐる対話を終えて」(全8回) 第7回「時代」 対談6:秋元康さん

2019.08.12

第7回「時代」
対談6:秋元康さん

阿久悠と同じく、放送作家という出自を持ち、阿久悠と同じく、単なる作詞家という枠を越えて世の中に多くのムーブメントを巻き起こしてきた秋元康さん。阿久悠が少年期より意識しつづけた美空ひばりの晩年の代表曲「川の流れのように」を書いたひとでもあります。

「40年近く仕事をして、ふっと気づいて見てみたら、なんだ自分が歩いているこの道は、阿久悠さんがもうすでに延々歩いてきた道なんだ、と。」

「スター誕生!」でそれまでになかった新人発掘のかたちをつくり、実際に何組ものスターを生み出し、その成長をも後押しした阿久悠。いち作詞家という枠を飛び越えて、彼は一級のアイディアマンであり、仕掛け人でした。世に仕掛けるという意味で秋元さんも、阿久さん同様に社会に多くの風を巻き起こしてきたひとです。

「阿久悠さんって、スタイリッシュなんだよね」

ハードボイルドという言葉も秋元さんは使ってらっしゃいましたが、阿久さんは自身が真剣であることを隠さず、むしろそれを前面に出し、少々のことがあっても弱みなど決して見せず、おのれのスタイルを突き通す方だったと。一方で、秋元さんや、秋元さんと同じ世代の方たちは「真剣であることを前面に出すこと」自体を、粋とはせず、むしろ軽やかに、ポーカーフェイスで物事を為すことを良しとする世代でもあったと。

これは世代ごと特有の、スタイルの取り方のちがいなのかもしれません。

「がんばっている姿」「真剣な姿」がかっこいいとされるか、かっこわるいとされるか、これはそれこそ、時代によって多数派が入れ替わるところです。しかし、言ってしまえばこれは「見られ方」という表層の問題です。創作そのものの本質については秋元さんもこんな言葉をこぼしてらっしゃいました。

「もちろん僕も人間だから、へらへらしながらは書けないんだよね。」

「(歌のなかに)どれくらい、秋元さんが入っているものなんですか?」

「全部入ってる。100%入ってる。」

秋元さんの言葉の端々に僕が感じたのは、世間が秋元康という存在に対して抱いている(決していい意味だけではない)軽薄さのようなものを剥ぎ取った先にある、阿久悠さん同様の、作り手としての熱ある真剣さ、核のようなものでした。

表層のスタイルはどうであれ、掘っていけば、おなじような芯に突き当たります。

秋元さんは巻き起こしたムーブメントが「産業」と揶揄されてしまうほどに大きなものとなってしまったがゆえに、その評価について、ビジネスとしてどうなのか、企画としてどうなのかなど、音楽以外の評価軸が二重、三重にも複雑に入り混じってしまっていて、いち作り手として秋元康とはどんな存在なのかというフラットな評価を、他の作り手の方々より、されにくくなってしまった方なのだと思います。

そういった意味では阿久悠も、作詞家と名乗りながらも、いくつもの小説を残し(もともとは作家志望でした。彼のなかでは本道の仕事であったはずです)、「スター誕生!」をはじめとして様々な企画を立ち上げ、個人誌「月刊You」を発行し、自身の創作についての解説も含め多くのエッセイを残すなど、多岐に渡った活動が、彼の存在を(彼の意図とは逆に)より捉えづらいものにしてしまった部分はあったのかもしれません。

いずれにしても、「やせがまん」と題してハードボイルドを貫いたり、かたや軽薄を装って涼しい顔で受け流したり、その表層のスタイルの異なりはあったとしても、おふたりがその大きな成功ゆえに世間から激しい風を受ける場所に身をおいてきたことは確かで、そのなかでふたりともに共通しているのは、どんな風のなかでも作品を作り続けているという、シンプルで強靭なひとつの事実です。

「時代を追いかけたりすると、必ず、時代から1分遅くなったり、1分早くなったりする。阿久さんはそれがわかっていたから、同じ場所で、ずっとお書きになっていたんじゃないかな」

「止まっている時計は、日に2度正確な時間を指す。つまり待っていれば、いつか自分と時代がぴったり合う瞬間がくる」

ふたたび、阿久悠と時代、両者の対峙についてです。

糸井さんがおっしゃった「時代という言葉をつかいはじめてから、つまらなくなった」という指摘は、秋元さんの言葉とつながります。時代という存在を自分の外側に置き、俯瞰してみようとする姿勢は、「時代を追いかける」ということと、意識としてほぼ同義かもしれません。

一方で秋元さんは、阿久悠はそれをしなかったのではないか、ともおっしゃっています。後半期の河島英五「時代おくれ」などを、どう解釈するかは、意見の分かれるところです。

どうも玉虫色の結論に逃げるようですが、つたないなりの推論として僕が思うのは、おそらく「揺らいで」いたのではないかなと思います。主観と客観とのはざまで。時代を追いかける誘惑と、自らの立ち位置にあり続けるつらさとのはざまで。
作り手が生きている現実というのは、たいがい矛盾に満ちているものです。

阿久悠も、いくつもの矛盾を内包しながら、そしてそれをおそらく誰よりも自覚しながら、おのれが思うあるべき姿であり続けようと、それこそ戦っていたのではないでしょうか。

だからこそ、揺らいでいた。あるときは敗れ、あるときは耐えきれず、時代の後ろ姿を追いかけてしまうような瞬間も、あの阿久悠でさえ、あったのではないでしょうか。しかし、揺らいでいたということは、すなわち、“ほんとうに”戦っていたということでもあります。

「時代を喰って」歌を書くとは、「巫女(みこ)」になることと、隣り合わせです。

しかし最後まで阿久悠は、自分という主体を失わずにいようとしました。時代を喰って、時代をそのまま吐き出していたのではなく、時代を喰い、それらと対峙し、我が何を思うかをそこに刻み、歌として昇華しようとしていました。

その一連を、成功させたこともあれば、時代を喰おうとすることに足元をすくわれ、失敗させたこともあった。

その勝利と敗北とのあいだで、生涯を通じて、“ほんとうに”戦い続けた。自分には、阿久悠の姿が、そんなふうに見えます。

※この連載は、ETV特集「いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話」(NHK Eテレ2017年9月23日放送)の出演を経て、水野が2017年10月にまとめたエッセイの再掲載です。一部、記述が2017年当時の状況に沿ったものとなっておりますことを、予めご了承ください。

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