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HIROBA編集版 「阿久悠をめぐる対話を終えて」(全8回) 第5回「勝ちたいんだよ」 対談4:小西良太郎さん

2019.08.10

第5回「勝ちたいんだよ」
対談4:小西良太郎さん

阿久悠が作詞を手がけた北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」を激賞したことをきっかけに彼と親交を深め、晩年までその才能の行方を見守り続けた音楽評論家の小西良太郎さん。

歌謡曲を分析する評論家としても、また、取材対象と直接向き合う現場の新聞記者(取材者)としても、玄人中の玄人です。生半可な質問をしては、芯の部分をお話し頂けないだろうと、今回の対話の旅のなかでは、実は一番緊張したお相手でした。

「おい、聞き逃したことはねぇか。そう何度も会えるわけじゃないからな、なんでも聞けよ」

途中、やはりそんなことを言われてしまって、冷や汗が出てしまいました。

阿久悠は、数多くある自著のなかで、ある3人について繰り返し言及しています。

それは簡単に言ってしまえば「自分を認めてくれた3人」です。ひとりは、自分が書いた作文を「君の文章は横光利一を思わせる」と褒めてくれた小学校時代の恩師。もうひとりは、まだ作詞家になる以前、広告代理店の社員時代からその才能を認めてくれた自身の妻。そしてもうひとりが、この小西良太郎さんです。(ちなみに紫綬褒章の受賞にあたっては、「お前の歌は品がいいね」と言い残した実の父親の言葉を小西さんに代えて、あげています。この言葉については遺作となる小説「無冠の父」にも同様のエピソードが描かれており、彼にとってとりわけ大きな励ましだったようです。)

阿久悠のうちに秘める激情には、社会に自分の存在を認めさせたい(認められたい。という表現のほうが、彼の切実さに近いかもしれません)という、強い願望があったように自分には感じられます。小西さんは番組において「勝ちたいの。あのひとは、勝ちたいんだよ」とそれを端的に表現していました。

阿久悠と同じ1937年生まれには、あの美空ひばりがいました。

少年時代、海で溺れかけたときに、新聞に載る自身の死亡記事について想像したというエピソードを、彼はのちに著書で書き記しています。

「今、僕が溺れ死んでも少年水死の4文字で終わってしまうだろうが、美空ひばりなら、4文字どころから、4千字にも4万字にもなるだろう」

大先輩に大変失礼な言い方ではありますが、思わず愛らしさまで感じてしまうほどの激しい嫉妬ぶり。その人間臭さに、自分は無性に惹かれます。

作詞家として唯一、悔いていることを述べるとするならば「美空ひばりに代表曲といえるような詞を、書けなかったこと」と語る阿久悠。宴席で彼女と遭遇することがあっても、あまりにその存在を意識しすぎていたからなのか、社交辞令程度でほとんど会話らしい会話をできなかったと言われています。とはいえ、実は阿久悠も数篇の歌詞を美空ひばりに書いていて、日記にも、彼女に歌を書くことの喜びと意気込みをかいまみせる記述が残っています。しかし、それらは彼が夢想していた規模のヒット曲にはなりませんでした。

小西さんは、長く美空ひばりに密着した記者でもありました。

昭和という時代の、まさに太陽であった美空ひばり。その太陽の眩しい輝きがつくった影の下で、いつか自分の力を世の中に認めさせようと、大空を鋭い眼光で睨みつけていた阿久悠。

両者を間近で見つめ続けた、数少ないひとである、小西さん。

言葉の端々に、取材対象の尊厳を守ろうとする気概と、一方で、彼らとのあいだに、ぎりぎりの一線を越えない絶妙な距離をとる冷静さ。それを感じて「ああ、踏み込めないな」と、対談中、情けないことですが、なかば降参していました。

飯田さんにお会いしたときにも思いましたが、阿久悠だけではなく、彼と向き合う多くのひとたちが、あの時代、それぞれの立場で、それぞれの矜持をもって仕事にあたっていたのだと思います。取材者としての小西さんも、作る側の人間とはまたちがった角度から、信頼をベースとした、痺れるような緊張感のある対峙を彼としていたのではないでしょうか。

若かりし頃、阿久さんや仲間たちを連れて、綺麗なお姉さん方がお酌をしてくれるような夜のお店に繰り出すこともあったそうです。

「でも、あのひとはお姉さんたちをかきわけて僕のところにきて、真面目な顔して、こないだの仕事の件なんですが…って始まっちゃうんだよ。もう、それ以来、あの方をそういうお店につれていくのはやめたね。あははは。」

肩の力を抜くということがなく、まわりがたじろいでしまうほど、徹頭徹尾、真剣だった阿久悠の姿を、苦笑いしながら、懐かしむようにいくつも語ってくださいました。

飯田さんと同じ質問を投げかけました。

「阿久さんのこと好きでしたか?」

「ひとことではいえないよ。(一般論として)人間はいろんな面をもっているものだ。ある面は好きだけれど、ある面は簡単にはそうとも言えないっていう、普通、そんなもんだ。」

それは、はぐらかしたのではなく、取材者としての、本音なのだろうなと思いました。

「ただ、あんなひとはいなかったよ。最後まで、崩れなかったね」

晩年、入院中の彼を、アポイントメントなしで面会することを許されていた小西さん。何度、予告なしに病室を訪れても、阿久悠は、一度も体を横にしていたことはなく、いつもベッドの上で座っていたそうです。

「死ぬときも、ベッドで座っていたんじゃないか。そう思ってしまうんだよ。」

※この連載は、ETV特集「いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話」(NHK Eテレ2017年9月23日放送)の出演を経て、水野が2017年10月にまとめたエッセイの再掲載です。一部、記述が2017年当時の状況に沿ったものとなっておりますことを、予めご了承ください。

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